名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

「ひろやす」と聞いて、名前だと思われる方が大半です。

本日のつれづれ no.598 〜國分功一郎『中動態の世界』 -自殺?他殺?それとも...〜

2017.11.24  【613日連続投稿】

 

心理学者のハワード・ジョージの手による興味深い「論文」がある。

これはビルのベランダから人が落ちて死んだ事件をめぐり、その人物が自分で飛び降りたのか、それとも人ん突き落とされたのか、その決定しがたさを白熱び法廷劇の形で書き表したフィクションである。

 争いの後でベランダから落ちたという被害者の死は、自殺なのか他殺なのか?「論文」は末尾で次のように述べる・

 

 英語では、動詞は二つのうちどちらか一つで表現されえます。つまり、能動(私が押す)か受動(私は押された)です。英語には三つ目の態はありません。主語と述語の関係を表現する別の方法はないのです。主語は能動か、さもなくば受動でなければならない。私がそれをやったか、あるいはそれが私に対してなされたか、そのどちらかでなければならない。しかし、いくつかの言語は三つ目の態、中動態というものをもっています。そこでは、さまざまな仕方で動詞の行為が主語に送り返されます。「説得する persuade」という動詞のことを考えてみましょう。英語ではそれを能動態として「私は説得する I persuade」と表現されるか、あるいは、受動態として「私は説得される I am persuaded」と表現されるかのどちらかです。〔しかし〕ギリシア語では、peiho(私は説得する)は、中動態を用いてpeithomaiとなり、これは〔中動態を英語でできる限り上手く表現してみるとすれば)「私は自分を説得されるがままにする I let myself persuaded」となります。

 

國分功一郎『中動態の世界』p.74~75

 

確かに、ある行動の要因や背景を考えていけば、一見、その人が自らやったように思えることが、それではないと思えることは多くある。

おそらく、能動か受動かよりも、生きている中ではその狭間で動いていることがほとんどなのではないだろうか。

 

おわり。