ここ最近は、対人関係や多数派・少数派などのことについて考えている気がする。
なんでそんなことに興味を持ったのか?
それは自分自身の経験からきている。
多くの人は経験から物事を語る。
その人が経験していることだから、
その人が大切にしていることや価値観を知ることができる。
やっぱり自分が経験して「これは良いものだ」と思うものって、誰かに伝えたいと思うんだ。
もちろん、それがみんなにとって良いものだとは限らない。
でも、等身大でありのままの語りは心に入ってくる。
そういう人と話したいって思うし、そういう人になりたいとも思う。
日々、自分に相手に偽りない存在でありたい。
それって自分で決めたことをどれだけやれてるか?
でも、それに拘り過ぎない。
大切だと思うことってたくさんあるけど、全てを一気にできるようにすることは無茶しすぎ。
1つ1つできることを増やす。
自然とできるようになるまで。
自分は何ができるようになりたいんだい?
誰もが安心できて自分らしく居られる場を作れるようになりたい。
これは進路で迷っている時に舞い降りてきた言葉だ。
よく考えると抽象的なんだよな。
安心できるってどんな状態?
自分らしくって何?
場をつくるってどういうこと?
一個一個掘り下げてみないとこれじゃ甘いや。
安心できるっていうのは、
・このままで良いと思える
・何でも言える
・条件なしでずっとその場に居たいと思える
・誰もが自分の味方だと思える
・自分が受容されている感覚
・心が丸裸になれる
自分らしくっていうのは、
・自分で自分の選択を行うこと
・自分の心に嘘をつかない
・〜らしくに囚われない
・どんな自分も100点満点
・凹んでも立ち上がれると信じられる
・目の前に道がなくても進んで行ける
場をつくるっていうのは、
・他者との交流を生む
・自分の枷を外す
・自分の外から自分を見る
・一人ではできないことが起きる・生まれる
・自分が見えてくる
今の僕の中では掘り下げるとこんなに感じ。
場をつくるってことは今はなかなかできないって思っていたけど、
それは自分で自分にはめていた枷だった。
集団の頂点にいることやゼロから生み出すってことが場をつくるってこと。
だと思い込んでいた。
自分が存在してる場は自分でつくることができる。
自分の思い通りにできるってことじゃないけど、自分から与える姿勢を忘れていたら
自分でやろうと思っても何もできない。
相手を信頼し歩み寄ること。それを今は一番大切にしたい。
また明日から学校でたくさん学ぼう。
おわり。