2019.02.02 【1043日連続投稿】
今日は、職場でカラオケに行ってきました。
【毎月恒例のレク企画!】 本日はカラオケレクでした〜〜!🎤... - 就労継続支援b型 ゆい & ピース | Facebook
ちょうど最近読んでいる『寝ながら学べる構造主義』(著:内田樹)でニーチェが考える道徳とリンクしたんですよね。
職場で行くカラオケと今まで経験したカラオケがかなり分かりやすく、ニーチェの解説できそうと思った次第です。
皆さん、職場でカラオケに行くとします。
人によっては、友達で遊びに行くかもしれないし、合コンで行くかもしれないし、人それぞれのシチュエーションを想像してください。
少なくとも自分は、以前住んでいたシェアハウスメンバーとカラオケに行く時以外は、一緒に行く人が知ってる曲や受けが良さそうな曲を選曲しようとしている自分がいました。
そういう自分は、以下のニーチェの考えの中にズッポリハマっていた自分にあたるのではないかと思います。
畜群の関心は、いかにして「均質的な群」を維持するか、ということにしかありません。
ここに倒錯的な畜群道徳が誕生します。
なぜ「倒錯的」かと言いますと、畜群においては、ある行為が道徳であるか否かについての判断は、その行為に内在する価値によってでも、その行為が当人にもたらす利益によってでもなく、単に「他の人と同じかどうか」を基準に決されるからです。
他人と同じことをすれば「善」、他人と違うことをしたら「悪」。それが畜群道徳のただ一つの基準です。
歌の選曲で善か悪かということジャッジはつけられないかと思いますが、やはり「他人と同じかどうか」は他人と同じように盛り上げれるか、盛り上げられるか、ということになり、世に一般的に受けている曲を歌ってしまうことになることにつながるんだと思います。
このことが良いとか悪いとか言いたいわけでなく、そういう状態だったというだけです。
職場では、みんな歌いたい曲を歌いたいように歌いながらも、一緒にいることは嫌にならないようにしているんだなぁということを感じます。
他人と同じでなくても、自分がちゃんと存在していていいし、受け入れられていると実感できることは、これからの集団の考え方になるかもしれないなと、ふと思いました。
おわり。