名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

「ひろやす」と聞いて、名前だと思われる方が大半です。

本日のつれづれ no.1015 〜ニーチェさんが言う「奴隷と貴族」より〜

2019.02.03  【1044日連続投稿】

 

 「奴隷」が相互模倣の虜囚であるとすれば、「貴族」は、自分の外側にいかなる参照項ももたない自立者です。「外界を必要としないもの」「行動を起こすために外的刺激を必要としないもの」、それがニーチェのいう「貴族」です。

 「貴族」の行動は、(功利主義的市民のように)熟考の上のものでもないし、(「奴隷」のように)外部への屈服でもありません。「貴族」とは何よりも無垢に、直接的に、自然発生的に、彼自身の「内部」からこみ上げてくる衝動に完全に身を任せるのもののことなのです。

 

内田樹『寝ながら学べる構造主義』p.54

 

ニーチェが言う奴隷と言うのは、周りと同じことが「善」、周りと違うことが「悪」という価値観の方たちです。それに対して、貴族が周りなんて関係ないマイウェイを突き進むぜといった人のことです。

 

今の自分が思うのは人によって、奴隷でも貴族でも幸せな人はいるだろうけれども、奴隷と貴族の狭間でちょうどいい場所がその人のとって生きづらを感じることが少なく生きられるポイントなんだろうなぁと思います。

 

ちょうどいい場所を分かるためにも、自分の無意識(サンカーラなどなど)知ることは大切なんでしょうね。

 

おわり。