名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

「ひろやす」と聞いて、名前だと思われる方が大半です。

本日のつれづれ no.1018 〜言葉が先か? 存在が先か?〜

2019.02.06  【1047日連続投稿】

 

 日本語では「犬」と呼ぶものを、英語ではdog、フランス語ではchien、ドイツ語ではHundと呼ぶというふうに、ものの呼び方は「言語共同体ごとにご自由に」ということになっていて、どの名がいちばん「正しい」のか、というようなことは問題にしても仕方がありません。「ものの名前は人間が勝手につけた」というのが「カタログ言語観」の基本にある考えです。これは誰にでも納得できるでしょう。

 そかし、この言語観は、いささか問題のある前提に立っています。それは、「名付けられる前からすでにものはあった」という前提です。

 たしかに私たちはふつうにそう考えます。「丸くてもこもこした動物が来たので、アダムは勝手にそれを『羊』と名づけた」というふうに。

 しかし本当にそうなのでしょうか。「まだ名前を持たない」で、アダムに名前をつけられるのを待っている「もの」は実在していると言えるのでしょうか。

 名づけられることによって、はじめてものはその意味を確定するのであって、命名される前の「名前を持たないもの」は実在しない、ソシュールはそう考えました。

 

内田樹『寝ながら学べる構造主義』p.61〜62

 

言葉を使わない人はいないです。話せない人でも言葉は持っていると思っているからです。

言葉が先か?存在が先か?というタイトルにしましたが、

言葉があるということはどういうことなのか?ということを探求することを書いていこうと思います。

 

これからはソシュールさんが登場して、言葉ってものを深めていきます。

 

おわり。