2019.11.04 【1320日連続投稿】
時々、「目的」をテーマにして似たようなことを書いているのですが、「目的」とは結構便利で厄介な言葉でありまして、一般的に「目的を持つ」と聞くと、しっかりしてるとか良いことを見なされることが多いのではないかと思います。
しかし、そもそも目的を履き違えてはないないかい?
と突っ込みたくなることがありますし、もちろん私自身も仕事とか本業以外でイベントづくりに携わる時に「目的」と言っていたが、それが目的なのはおかしいという場面に何度も遭遇しますし、日常的に起こっています。
目的を履き違えることがダメなのではなく、自分で「本当にこれが目的なのか?」と問い直すことが何よりも不足しているのではないだろうか?
目の前の課題の対処に追われて、大きな目的を見失ってはいやしないかと。
今の私の仕事は、障害のある方の就労支援(一般企業などに務めていくためのサポート)に置き換えると、このような履き違えが起きる。
就職することが目的となってしまって、就職後にすぐに離職してしまっている事例をよく聞く。
何度失敗しても何度もチャレンジすればいいというのは、聞こえはいいが目的が「就職すること」と「働くことで人生を豊かにすること」では、たとえ辞めることになっても意味が異なる。
このように、至る所で一見立派な目的を持っていても、それってまだまだ甘いんじゃない?
ってことが起きている。
それは、今の私もそうである。
そして何より、「目的がなければならない」という呪縛にかかっていることに、なかなか気づかない。
目的を持たないことも一つの選択であり、必要な場面がある。
いつも自分をセルフチェックすることができれば、目的なんかに縛られず、スッと自分の向かうべき方向に迎えていくものだ。
おわり。