2022.11.09 【2411日連続投稿】
今日は久しぶりに『観察力の鍛え方』(著:佐渡島庸平)を読み進めます。
「真似る」というと安易な方法だと思うかもしれないが、まったく逆だ。自己流で、やりたいようにやるほうが、よほど安易な方法だ。簡単にできた気持ちになる。自分のアウトプットと一流のアウトプットに雲泥の差があるのに、その差をじっくりと観察せずにすみ、自分の心を守ることができるのが、自己流のやり方だ。
実際にやってみるとわかることだが、一流の人をいざ真似しようとしても簡単には真似することができない。たとえば、日本舞踊の人は、すり足で歩く。太極拳の動きはとてもゆったりしたものだ。見ている時は、簡単に真似できるように思う。でもやってみるとまったくできない。身体が鍛えられていて、体感がしっかりしていないとあんな動きはできないのだ。真似することさえできない。そして、自分に何が足りないのかもわからない。
そんな絶望から、「真似る」は始まる。真似ないというのは、自分の「できない」に向き合わなくていいやり方だ。採点できないテストを受けるようなものとも言える。
『観察力の鍛え方』p.76
真似ないのは自分のできないに向き合わない行為であるということに、ズキっとする。
仕事でも真似しても上手くいくのか?と頭によぎる事があるが、結果今まで王道の型を外して上手くいったケースなんてほとんど存在しないことに気付いた。
真似ては、自分のオリジナルが自然と出てくる。
そんなことを繰り返して結果オリジナルになっていく。
そんな話を明日からのスタッフ面談でしてしまいそうである。
おわり。