2023.12.21 【2906日連続投稿】
支援という言葉は、とても広義だ。
広辞苑で調べてみると、「ささえ助けること。援助すること。」と出た。
こりゃ、また広義的に考えられるので、やはり支援という言葉は、人によってイメージが全く異なると思う。
そして、私の中で変化も起きている。
これまで支援を対等な関係で行いたいと思っていたが、次に「対等って何?」となる。
また広辞苑で調べると、「双方の間に優劣・高下のないこと。双方同等であること。」と出た。
言葉としてはいい響きだが、果たして本当にそうか?
もちろん、人として支援する側が偉くて、支援を受ける側の方は支援者の言うことを聞かなければならないと微塵も思わないが、最近対等ではない気がしている。
逆に対等であろうとすると、上手くいかないのではないか?とさえ思っている。
私を例とすると、障害者の就労支援を仕事としているが、仕事で当事者の支援者となる場面もあれば、当事者から助けられることも多くある。その場合は、私はクライアントから支援を受けたと言ってもいいだろうと思っている。
しかし、支援者の立場になる時は、本人と同等の思考でいいかと言われれば違うと明確に思う。なぜなら、本人と同じであれば支援にならないからだ。
対等を勘違いするケースは、対等なんだから支援を受ける側から何かを言われて気に入らなかったら、言い返す行為はその状況によって言い返すのが適切なのか不適切なのか判断することができなければ、支援者ではない。
反対に支援者を格上げして考えている人は、最初から相手の否定や自分の言うことが正しいのだから「言うことを聞け」というような持って行き方をする。
だから、支援者であるときの自分・支援を受ける時の自分がいることを認識して、支援者である時にどんな自分で居たいか?とまずは考えることが大切だ。
さらに、本当に支援者として当事者の困りごとを解決したいのであれば、適切な経験と学びを積んでいくことが不可欠である。
おわり。