2016.11.07 【230日連続投稿】
最近、対話の中から腑に落ちた感覚があります。
それは、「自分のことが好きでも嫌いでもいい」ということ。
自分のことが好きだから〇〇できる。
自分のことが嫌いだから〇〇できない。
そんなことを思っている自分がどこかにいました。
自分のことが好きか嫌いかということを世間一般には、自己肯定感とか自尊感情とか言われると思います。
僕自身もこのようなことを卒論で調べたりした程興味関心ある事柄でありました。
卒論では、自己肯定感とはそもそも何ぞや?ということを中心に調べて、結局色んな考え方があって、そもそも「自己」についても色んな考え方があるほどグラデーション豊かな概念ということが分かりました。
仕事柄、教育に関する記事を読むと「自分を好きになろう」とか「色んなことをチャレンジできないのは自己肯定感が低いから」という内容をよく目にするなと、僕自身は認識しています。
でも、ふと思ったんです。
自分のことが嫌いだから挑戦できないとか結びつけることは関係なくて、多分やらない理由探しをした中の1つのネタに過ぎないんだろうなと。
だから、自分のことが嫌いな人が好きななろうとすることに僕はおかしな感覚を得たんだと思います。
もっと言ってしまえば、自分が好きとか嫌いとか二元論的な発想をするから辛い思いをしたり、苦しいんだと思います。
「じゃあどういう状態がいいんだ?」
その問いすらナンセンスに今は感じます。
どんな自分でもいい。
好きとか嫌いとかを問題視するから問題になる。
強いて言うなれば、自分をじっと観察することがいいのかもしれない。
観察し続けると、どんな時にこんな気持ちになるとかが分かるようになる。
自分を客観視できるだけで落ち着いた気持ちになれたり、自分に優しくなれたりする。
他人と付き合うように自分と付き合う。
そんな気分でいると楽になってきたなと思う今日この頃です。
おわり。