名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

「ひろやす」と聞いて、名前だと思われる方が大半です。

本日のつれづれ no.196 〜「普通がいい」という病を読み終えて〜

2016.09.08  【170日連続投稿】

 

 「普通がいい」という病(著:泉谷閑示)を読み終えました。

 

「普通がいい」という病~「自分を取りもどす」10講 (講談社現代新書)

この本を読むのは2度目です。

 

僕がインタビューゲームやらくだメゾットと出会うきっかけとなった井上淳之典さんから、たしか紹介された本だったと思います。

 

 実はですね、今までこの本を元にした記事を結構書いてきています。

 

本日のつれづれ no.110 〜「癒し」という言葉〜 - 名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

本日のつれづれ no.117 〜5つのバナナ 「普通がいい」という病より〜 - 名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

本日のつれづれ no.115 〜誰も悪くない。でもね、僕は思うんだ。〜 - 名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ 

 本日のつれづれ no.190 〜賑やかな孤独 「普通がいい」という病より〜 - 名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

 

 今まで本の中の一部を元に書いていましたが、2度この本を読んで全て繋がっているなぁという感覚になり、僕が思う『「普通がいい」という病』の核となるものが書くことで見えてくるのではないかと思い綴っています。

 

今回読んで、僕が最も自分の中で囚われていたのが、「欲」と「愛」を隔てていて二元論的な思考で常にいたということです。 

 

「愛」に入る言葉は、人によって「優しさ」「思いやり」などに置き換わるような気がします。

 

このことに気付けた根本を言うと失恋したからだと思います。

その失恋で、なんて自分は相手を愛せていなかったんだろうという思いになりました。

だから、愛することができる人になりたいと思うようになりました。よくブログでも言葉として「愛」を用いていますが、記事を読み返すと「愛」が僕の中で最も関心が高いものなんだと思います。

 

そして、欲を捨てることが愛に繋がるという考え方を持っていました。

 

しかし、この部分を読んでその考えは落とし穴に落ちているのかもと思ったわけであります。

 

このように理趣経の説くところはふつうの仏教経典とまったく違っています。それは何かというと、理趣経は「あれはしてはいけない、これもしてはいけない」とあちらこちらから手足をがんじがらめにして、倫理的な教えを説き示そうというお経ではありません。結局、人間の生、生きているということの根源に立ち返ってもう一度考え直してみようではないか、というお経なのです。

欲望というのも生きていることの一つの証であるわけですから、欲を矯めるー「角を矯めて牛を殺す」ーようなことはするなということです。「もっと大きなものに育てていこう」と説くので、まずは「大欲」という言葉が出てきます。私たちのあるべき姿というのは、欲望を大きく育てることです。大きな欲というのは、自分を残していません。自分のための欲ではない、一切衆生のための欲望なのです。

 

初めて「角を矯めて牛を殺す」という言葉に出会いました。

以下の意味になるようです。

f:id:hiro22yasu13:20160908213310j:image

 

欲を捨てなくていい、欲を進み、その先に自分一人のためでない欲が生まれる。

 

欲があるから人間らしさが生まれる。

 

やがてその欲が愛に変わる。

 

なんだか、自分が持っているもの全てが宝のように思えたら最強だな。

 

欲があることで、自分の本質を知れたり、生き方に深みが出てくるのかもされないな。

 

これからの人生で少しずつ腹に落としていける生き方をしていきたい。

 

だから今は、綺麗にまとめることはできないし、したくない気持ち。

 

でも、なんだか今までの思考の枠より一歩広がったのは確かだ。

 

最初この本の核を書きたいと言っていたが、この本の核を書けたのかは分からない。

結局、その時書きたいことを書いているんだなと改めて思った。

 

おわり。