名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

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本日のつれづれ no.482 〜渡辺京二『逝きし世の面影』第6章-労働と身体-③〜

2017.07.25  【491日連続投稿】

 

モースは、明治十年以上にはまだそのまま残存していた徳川期日本人の労働の特質を目撃したのである。むろん、何もせずに歌っている時間を省いて、体力の許すかぎり連続的に労働すれば、仕事の効率は計算上では数倍向上するに間違いない。しかしそれはたんなる労役である。ここで例にあげられている地搗きや材木の巻き揚げや重量物の運搬といった集団労役において、動作の長い合間に唄がうたわれるのは、むろん作業のリズムをつくり出す意味もあろうが、より本質的には、何のよろこびもない労役に転化しかねないものを、集団的な嬉戯を含みうる労働として労働する者の側に確保するためであった。つまり、唄とともに在る、近代的な観念からすれば非能率極まりないこの労働形態は、労働を賃金とひきかえに計算化された時間単位の労役たらしめることを拒み、それを精神的肉体的な生命の自己活動たらしめるために習慣化されたのだった。イヴァン・イリイチふうにいえば、労働はまだ”ワーク”にはなっていなかった。

 彼らはむろん日当を支払われていた。だがそれが近代的な意味での賃金でないのは、労働が彼らの主体的な生命活動という側面をまだ保ち続けており、全面的に貨幣化され商品化された苦役にはなっていなかったからである。苦役というのは過重な労働という意味ではない。計器を監視すればいいだけの、安楽かつ高賃金の現代的労働であっても、それが自己目的としての生命活動ではなく、貨幣を稼ぐためのコストとしての活動であるかぎり、労役であり苦役なのである。徳川期において普遍的だったこのような非能率な集団労働を、使用する側の商人なり領主なりは、もっと効率的な形態に「改善」したいとは思わなかったのだろうか。仮にそう思ったとしてもそれは不可能だった。なぜなら、それはひとつの文明がうちたてた慣行であって、彼らとてそれを無視したり侵犯したりすることは許されなかったからである。

 

渡辺京二『逝きし世の面影』 p.240.241

おわり。