2018.10.06 【927日連続投稿】
「「逃れの町」という制度は聖書「民数記」が定めたものです。
「あなたがたは町々を定めなさい。それをあなたがたのために、のがれの町とし、あやまって人を撃ち殺した殺人者がそこに逃れることできるようにしなければならない。この町々は、あなたがたが復讐する者から、のがれる所で、殺人者が、さばきのために会衆の前に立つ前に、死ぬことのないためである。」(『民数記』35:11-12)
どのような社会にも、そこに逃げ込めば、もう復讐者の手が届かない安全地帯があります。そこでは暴力がとりあえず停止される、どれほど政治的に正しい根拠があっても、そこでは暴力の行使が許されない。そういう「世俗の信賞必罰ルール」が一時停止される場所が人間社会にはどうしたって必要です。
日本でもある種の宗教的聖域は「逃れの町」として機能しました。聖域は血で穢らわしてはならないという禁制があったために、そこに逃げ込めば、直接的な暴力に身をさらされずに済んだ。
道場もまたある種の「逃れの町」であるべきだとぼくは考えています。
実際に門人たちから話を聞くと、学校や職場でのストレスで「壊れる」寸前に、すがりつくように合気道に入門してきて、世俗の社会とは全く異質の基準で人間を迎えるこの場に身を置いて、ようやくほっとできた・・・という述懐に触れることがまれではありません。
合気道の道場では、強弱勝敗を論ぜず、技の巧拙を論ぜず、競争も格付けもしません。ただ、ひとりひとりそれぞれの潜在能力の開花のために、お互いがお互いを支援し合う。それだけです。ですから、かなりの長期間、同門同士で、毎週のように稽古をしながら、お互いのフルネームも職業も年齢も住んでいるところも知らないということもあります。知らないままに稽古の後にいっしょにご飯を食べに行ったり、お酒を飲みに行ったり、道場の合宿に参加して、起居を共にしているうちに、だんだんとお互いのことを知ってくる、ぼくはそれでいいと思います。
だって、その人が「どんな人間」であるかは、稽古をしていればわかりますから。外形的な情報なんか副次的なものにすぎません。腹が据わっているか、背筋が通っているか、胆力があるか、肩の力が抜けているか、目の付け所がよいか、場における身の程をわきまえているか・・・・、そういうことは、道場での立ち振る居ふるまいを見ていればすぐにわかります、人間を知るときには、そこから入ればいい。社会的地位がどうであるとか、年齢がどうであるとか、国籍がどうであるとか、そういう記号的なものは道場内においてはさしたる意味を持ちません。問題になるのは、その人の生きる知恵と力がいかほどのものか、それだけです。
でも、普段の社会生活では、人々はそのような基準では人間的な力を考慮されていません。もっと外形的、数値的なことで査定さてれいる。「人間を見られる」ということをあまりされていない。
そのことが有形無形のストレスをつくり出し、人々の心身の自由を損なっています。その心身のこわばりが限界近くに達した人たちが「逃げる」ように道場にやってきます。直感的にわかるんでしょう。ここにくれば「ほぐれる」ということが。そして、そこで稽古をしているうちに、ゆっくりとこわばりがほぐれ、本来備わっていた生きる知恵と力が賦活される。道場というのは、そういう点では「授業の場」であると同時に「癒しの場」でなければならないとぼくは思っています。それもまた長い教員としての経験からぼくが得た確信のひとつです。
潜在能力を開花させようと願うなら、目先の利益をちらつかせて誘導したり、脅しつけたりしてはいけない。その人が自発的にその「殻」を破って、自分自身を繋縛していた「檻」から自分で扉を押し開けて出てくるのを気長に待つしかない。そのためには、「ここには私を傷つける人は誰もいない」という確信を得ることがどうしても必要になります、のくはそれが道場のあるいはもっとも重要な成立条件ではないかとおもっています。「ここに来れば、安全だ。ここには、誰も私を処罰したり、私の復讐の的にする人は決してやってこない」という確信がなければ、ひとはこわばりを解くことができませんから。ぼくが道場は「逃れの町」でなければならないというのは、そういう意味においてです。
『ぼくの住まい論』著:内田樹
おわり。