名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

「ひろやす」と聞いて、名前だと思われる方が大半です。

本日のつれづれ no.740 ~遊び心を忘れてないか~

2018.04.29  【769日連続投稿】

 

今日は、シェアメイトのピーターさんの発案で午前中名古屋市川名公園でキックベースを久しぶりにやりました。

適当なお誘いにも関わらず、時間入れ替わりで合計15人ほど集まってくれて久しぶりにいい運動ができました。

ボール一つで、ベースは地面に書いたり、もう読まない雑誌を使ったりと工夫すれば十分。「あるもので遊びを楽しむ」ってことから離れて、なんだか大人になるにつれて「お金を使って何かのサービスを利用して楽しむ」の方向が強くなってると気がつきました。

時には、こうやって子どものころの遊びというか外で遊ぶってことが大切だなって思います。

今週末は2018年初キャンプ゚なのでめちゃ楽しみっす。

 

おわり。

本日のつれづれ no.739 〜Facebookに投稿のフィルター検索ができるように〜

2018.04.28  【768日連続投稿】

 

1年前に自分が書いた記事を読み直してみました。

今までは、最近フェイスブックの過去のこの日の機能で観れていたのですが、投稿したはずのものが見れなくなっていまして「あれっ?」と思っていました。どうやら新しく自分のページにフィルター機能が付いて、過去のこの日の役割が「〇〇さんと友達になりました」とか「誰かにタグ付けされた投稿」に限定されてるっぽいです。多分、設定で今まで通りできるのだと思いますが、面倒なので、フィルター機能をこれからは使っていこうと思います。

 

本当は、一年前の今日の記事を読んで「この一年前の記事が今の自分の方向性を示している」と思ったことを書こうと思いましたが、また明日にしようと思います。

 

おわり。

本日のつれづれ no.738 〜立ち場が変わっても変わらないこと〜

2018.04.27  【767日連続投稿】

 

2年特別支援学校の教師をして、この4月から就労継続支援B型のスタッフとして働いています。

教師だろうが、スタッフだろうが立場は異なるけれども、「自分の中で変わらないなぁ。一緒だわ」と思いました。

 

何が変わらないかって言いますと、教師やってた時は「生徒」で今の場合は「利用者」です。

B型を利用者される方々の経緯は様々ありまして、普通に一般就労して働いていた方高齢の方だったり、フリースクールのようなところに通って成人された方であったりして、その一例として特別支援学校学校卒業の生徒も利用する場合があります。

いやぁ、入る前は「勤めていた特別支援学校の卒業生も何人かB型に行ったなぁ」と思ってたくらいで、全然知らないを日々痛感しています。初めて知ることばかりで楽しいと行った方が正しいですけどね。

 

少し話が逸れてしまいました。教師として生徒と関わるとかも、就労継続支援B型のスタッフとして利用者に関わる時も「変わらないな」って話ですね。

 

障害がある方と関わる仕事を始め、3年目に入りましたが、障害がある方に対して「助けよう」とか「役に立ちたい」とか「教えたい」とかの気持ちはあまり持たずに接しているのがやっぱりいいのかなと思ってます。

個人的には、障害があるから「助ける」「支援」「教える」ってのはなんだか「障害」という言葉に巻き込まれてる感じがしています。

障害があろうがなかろうが、僕はやっぱり生きにくさを感じていてどうにかしたいと思ってる人がいたら「どうしたいっすか?」「どう生きたいですか?」っていう根本的なところから考えてゆく伴走者的な立ち位置がいいなと思ってます。

 

まぁ、そんな思いは持ちつつも今はまだまだ関係づくりの段階で、一番大切なところだと思っているので、日々目の前のことを大切にやっていく感じです。

ただ、根本のところは忘れずに。見失わずに。ということで。

 

おわり。

本日のつれづれ no.737 〜谷川俊太郎 「嵐のあと」〜

2018.04.26  【766日連続投稿】

 

理性は誤るとしても感情はどうか

泉のように噴き出て尽きることのない感情は

たとえそれが人を破滅に導こうとも

正しい

 

谷川俊太郎「嵐のあと」

 

「正しい」という言葉はあまり使いたくありませんが、これに関しては「正しい」と思う。

 

おわり。

本日のつれづれ no.736 〜何を書こうか分からないことから〜

2018.04.25  【765日連続投稿】

 

特に書きたいことないな。

そんな気分である。

毎日書くには「日々、アンテナを張ってネタを集めようとしてるから」なんて時々言ってしまいますが、そんなにアンテナ張っているわけではないです。

 

日々、何か思いながら感じながら生きているのは間違いないのだろうけれども、言葉にならない言葉として横たわってることが僕にはしばしばあります。

 

言葉には「表現」と「伝達」の2種類に分かれると教師をやっている友人が話していましたが、「言葉にならない言葉」もあるんだろうと、思いました。

言葉になってねぇなら言葉じゃねえよ。

と突っ込まれそうですが、言葉になりそうでならないことだからこそ僕はいいんじゃないかって思うんです。

いくら自分と向き合い続けようとして、言葉にしようとしても、言葉が見つからない。

これは、インタビューゲームを50人とやろうが、対して進歩ないというか、むしろ言葉にならない言葉が深まっているような気がします。

 

最初はなんだかもどかしい感覚なんですけど、そのもどかしさが何かを突き詰めようとする姿勢に変わってくと思ってます。どこかに答えがあるわけでもなく、いつになったら答えが分かるわけでもないものなのです。そういうことを考えていると、人って測りきれない奥深さをもってるなと感じます。

 

おわり。

本日のつれづれ no.735 〜精神の変化は「駱駝・獅子小児」?〜

2018.04.24  【764日連続投稿】

 

 わたしは君たちに精神の三様の変化について語ろう。すなわち、どのようにして精神が駱駝となり、駱駝が獅子となり、獅子が小児となるかについて述べよう。

 畏怖を宿している、強力で、重荷に耐える精神は、数多くの重いものに遭遇する。そしてこの強靭な精神は、重いもの、最も重いものを要求する。

 何が重くて、担うのに骨が折れるか、それをこの重荷に耐える精神はたずねる。そして駱駝のようにひざまずいて、十分に重荷を積まれることを望む。

(中略)

 すべてこれらの最も重いことを、重荷に耐える精神は、重荷を負って砂漠へ急ぐ駱駝のように、おのれの身に担う。そうしてかれはかれの砂漠へ急ぐ。

 しかし、孤独の極みの砂漠のなかで、第二の変化が起こる。そのとき精神は獅子となる。精神は自由をわがものとしようとし、自分自身が選んだ砂漠の主になろうとする。

 その砂漠でかれはかれを最後に支配したものを呼び出す。かれはその最後の支配者、かれの神の敵となろうとする。勝利を得ようと、かれはこの巨大な龍と角逐する。

 精神がもはや主と認めず神と呼ぼうとしない巨大な龍とは、何であろうか。「汝なすべし」それがその巨大な龍の名である。しかし獅子の精神は言う、「われは欲す」と。

 「汝なすべし」が、その精神の行く手をさえぎっている。金色にきらめく有隣動物であって、その一枚一枚の鱗に「「汝なすべし」が金色に輝いている。

(中略)

 わたしの兄弟たちよ。何のために精神の獅子が必要になるのか。なぜ重荷を担う、諦念と畏敬の念にみちた駱駝では不十分なのか。

 新しい諸価値を創造することーそれはまだ獅子にもできない。しかし新しい創造を目指して自由をわがものにすることーこれは獅子の力でなければできないのだ。

 自由をわがものとし、義務に対してさえ聖なる「否」をいうのだ。わたしの兄弟たちよ、そのためには、獅子が必要なのだ。

 (中略)

しかし思え、わたしの兄弟たちよ。獅子さえ行なうことができなかったというのに、小児の身で行なうことができるものがある。それは何であろう。なぜ強奪する獅子が、さらに小児にならなければならないのだろう。

 小児は無垢である、忘却である。新しい開始、遊戯、おのれの力で回る車輪、始原の運動、「然り」という聖なる発語である。

 そうだ、わたしの兄弟たちよ。創造という遊戯のためには、「然り」という聖なる発語が必要である。そのとき精神はおのれの意欲を意欲する。世界を離れて、おのれの世界を獲得する・

 

ニーチェツァラトゥストラ』第一部「三様の変化」より

 

泉谷閑示さんの著書『「普通がいい」という病』という本で、紹介されていた一節です。

少し説明をしましょう。

ニーチェは人の精神の変化、成長の過程を駱駝→獅子→小児というなんとも繋がりがないと思われる単語で表現しています。

しかし、一つ一つちゃんと意味があります。

まずは駱駝は、勤勉、従順、努力、忍耐の象徴として表されています。「どうぞ自分に色んな重荷を積んで下さい」と言っているかのように、言われたことはなんでも従ってやる存在です。

次の獅子は、そんな従っているだけの環境が窮屈だと気がつき、自らの主体性や能動性を獲得していきます。むしろ、今までの窮屈さがバネになるくらい自分という存在を意識し俗に言う「トガった人」「突き抜ける人」になります。

最終的に小児になるわけですが、「自分」と言う存在を突き詰めていったことで「あるがまま」の存在になっていきます。従い尽くすこともなく、戦うわけでもなく、純粋無垢な存在として創造の世界に没頭する。

 

そんなことをニーチェが言っているのです。

 

そう思うと、「あの人は、自分がないく軸がない」「あの人は独りよがりすぎる」なんて思っても、「この人にとって重要な過程なんだと思えるし、自分自身も今大切な時期なんだなぁと思えて、全て今の積み重ねなんだなと思います。

 

おわり。

本日のつれづれ no.734 〜最近、らくだプリントがあまりやれていない件〜

2018.04.23  【763日連続投稿】

 

最近、3、4月はあまりらくだプリントがやれていません。

 

《らくだプリントってなんだ?という方はこちらをご覧ください》

                                  ↓↓↓↓↓↓

らくだメソッドの教材|どの子にも学力がつく らくだメソッド

 

やれていないと言うのは、基本的に毎日1枚算数のプリント(らくだプリント)がやれていないと言う意味で言っているわけですが、それまでは月の8〜9割の日にちはやれていました。

ちなみに今月は、23日の時点で取り組めた日は10日で半分以上やっていません。

 

3月から4月にかけて環境の変化もあってか、なかなからくだプリントをやる余裕がないのだなと感じています。

ただ、「やれてない=ダメ」というわけではないと思っています。

「やれていない」という事実から自分が見えてくるのです。

それまでの生活リズムの変化であったり、自分の思考が何に使われているのだろうと考えるきっかけとなったりするのです。

毎日やると決めているから、このようなことが見えてきます。

できるときにやればいいという、スタンスでは「やれなかった時は、やれなかった時」とだけしか残らないからです。

 

いまこうやって書くことも一緒やっているからこそ、忙しさや自分の思い込みでしかない不安などに駆られずにいられるんだと、再確認しました件でございました。

 

おわり。

インタビューゲーム日記 〜50人とインタビューやりました報告会を終えて〜

2018.04.22  【762日連続投稿】

 

本田信英さんと共に50人とインタビューやりました報告会を催しました。

 

インタビューゲームを始めた経緯から現在までのプロセスを説明させていただき、参加者からの質問に答えるという形式で行いました。

 

参加した方の感想を読ませて頂くと、それぞれインタビューゲームから思うことがあり、それぞれのインタビューゲームのプロセスがあるんだと思いました。

 

やり終えて思うことは、

インタビューゲームの報告会というイベントタイトルにしたのですが、少し矛盾といいますか、報告会にはしたくないという気持ちがありました。

それはインタビューゲームを通して、話す一方のコミュニケーションから離れていったはずなのに、報告会ならすることで話す一方のコミュニケーションになってしまうというものでした。

アイスブレイクを兼ねて、簡易的にインタビューゲームを体験を入れるなど、考えて工夫したつもりてましたが、本田さんと私がプロセスを話すとなると、個人的にあまり好きではないこっちばっかり話してしまっている状況が生まれてたのかなと思いました。

結局は、やらなきゃ分からないし、やった分経験として誰にも盗まれないものになると思うので、実践あるのみということに結局おさまるのだろうと思います。

 

写真は、ファシリテーショングラフィックを実践されている脇田麻衣子さんにお願いしました。是非ご覧ください。

 

また、私とインタビューゲームやりたい!興味あります!といえ方は気軽にコメントやらメッセージください。

これからもぼちぼちと、実践を重ねていきます。

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おわり。

 

 

本日のつれづれ. no.733 〜作ったあとが大切〜

2018.04.21  【761日連続投稿】

 

大学生の頃から、いろんなイベントに参加したり企画もしてきました。

イベントは祭りのようなもので、当日は盛り上がるけれどもそのあとは楽しかった思い出になるだけのような気がします。もちろん、その機で出会った人たちと繋がるなどその後の発展もある場合もあります。

 

楽しいことだけやりたいなら、それでもいいと思いますが、何か社会に影響を与えたいと思うのであれば、大切なのは作ったあとでしょう。

 

今日は、spymasterfamのリリース前のイベントに行ってきました。

spymasterという雑誌が20年前にありまして、今後WEBとしてリューアルするそうです。

リリースは2818/6/1

今後、名古屋を盛り上げていくメディアとして要注目です。

 

おわり。

 

本日のつれづれ no.732 〜前職の歓送迎会に行ってきました〜

2018.04.20  【760日連続投稿】

 

今日は、前職の歓送迎会が名古屋マリオットアソシアホテルで行われました。

 

前職の時は、仕事中はジャージだけど通勤はスーツでした。今では、通勤でもスーツを着なくなってしまったので、久しぶりのスーツ姿です。

 

思えば、1ヶ月前は前職で普通に働いていて、4月からは人生の春休みだなと思っていたのですが、話がトントン拍子に進み、今の職場にも慣れつつある感じです。

本当に人生どうなるか分からないし、自分一人では生きていけないし、人に恵まれてるなぁと感じます。

 

今日は、しっかり前職でお世話になった方々にご報告とご挨拶をしようと思います。

 

今日は何を書こうかなぁと思いながら、1年前の記事を読んでいると、当時の自分と今の自分は全く違う感覚でした。でも、当時のあの自分がいないと今の自分はいない気もします。

1日はあっという間に過ぎるけど、振り返ると変化がある。

そんな瞬間は、なんかいいなと思います。

過去も未来も現在も決めているのは自分かもしれません。

 

おわり。