名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

「ひろやす」と聞いて、名前だと思われる方が大半です。

本日のつれづれ no.962 〜細谷功『具体と抽象』 再び〜

2018.12.18  【997日連続投稿】

 

1年前、細谷功さん著書の『具体と抽象』という本を手に取りました。

 

今夜久しぶりに手にとってパラパラと読んでみているのですが、今こそ読むべき本だったのではないかと思っています。

 

具体というのは実際に目に見えたり、事例が出たりすること。

抽象というのは、実際には見えず、色んなことに汎用できること。

 

話がなんだチグハグで噛み合わないなって時があれば、自分はどっちを念頭に置いて相手はどっちを念頭に話しているのか。

これをふと頭に浮かべるだけで、ズレが自覚できるのではないだろうか。

 

ズレていることを自覚することとズレを修復できることは別の話だけれども、まずは自覚できるってことがなければ修正も生まれない。

 

『具体と抽象』もう一回読み直すことと他の著書も読み漁ってみようと思った。

 

おわり。

インタビューゲーム日記 no.46 〜聞くことは自分を知ること〜

2018.12.17  【996日連続投稿】

 

インタビューゲーム60人目をお相手は神戸開渡(以下.きゃんびー)さん。

(写真はうっかり撮り忘れ。笑)

 

《そもそもインタビューゲームって何?という方へ》

                              ⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎

インタビューゲームについて - 名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

 

きゃんびーは僕が以前住んでいたシェアハウスに時々出入りしていて、よく人狼ゲーム会に参加していた大学2年生だ。

 

【聞くことは自分を知ること】

今回は質問する度に「自分ってこう思っているから、こんな質問をしているんだ」ってことをいつも以上に感じていました。質問に自分の意図を込めようとしていたのだと思います。でも、できるだけ自分の想いを乗せないように心がけました。なんだか自分の想いを乗せて質問すると、相手がその想いに引っ張られて本当に思っていることを話してくれないような気がしたからです。

まぁ、想いを乗せようが乗せまいが、相手が本当のことを言ってくれている確証はないのですが。

だから、自分と相手との狭間に立っているような感覚で質問を出しているような気がしました。自分の想いを伝えたいわけでもなく、相手のことをただ知りたいのではなく、自分と相手を重ね合わせてどんなことが起きるのかを見てみたいという気持ちで質問をしていたように思います。

それは相手を知ると同時に実は自分はこんなことを思っていたんだってことを知ることになるのだと思います。

 

 

自分とインタビューゲームをして頂ける方、大募集中です♪

 

おわり。

本日のつれづれ no.961 〜学生の頃の自分に伝えたいことはありますか?〜

2018.12.16  【995日連続投稿】

 

今日は大学2年の男子とインタビューゲームをしました。

 

「学生の頃の自分に伝えたいことはありますか?」と大学生に聞かれました。

 

ちょっと考えてみたんですけど、すぐに伝えたいことは出てきませんでした。

今書いていると、「雪道には気をつけて」と伝えたくなりましたが、その時は「何も伝える必要がないかな。あえて伝えるなら、そのまま順調に進んでね」と伝えると答えました。

 

学生さんからは、「それは今の自分に満足しているからですか?」と言われましたが、「満足しているというより、今の自分だからいい」と思っていると答えました。

 

一つ今の学生に言うとすれば、「敢えて、苦しむ必要はないけど順調に苦労してください」と言うかなと伝えました。

 

 

本日のつれづれ no.960 〜第8回教師塾 「今日からあなたもテツガクシャ」を終えて〜

2018.12.15  【994日連続投稿】

 

第8回目となる教師塾。

実は、8月に行った第7回目を企画し始めるよりも早く始動していたのが、今回の第8回目の企画でついに当日を迎えました。

 

今回講師にお招きさせて頂いた瀬尾さんは、高校で宗教科目を担当されている方だ。

 

哲学対話という手法を用いて、「考える」ということをもっと日常的なものになって欲しいという思いを込めて、「今日からあなたもテツガクシャ」というタイトルにした。

 

当日を迎えた今日、始まる前知り合いの人が私に少し不安そうに話しかけてきた。

「今日って難しいことやるの??」

 

なるほど、「哲学者」でなく「テツガクシャ」とポップに変えたつもりだったが、「てづがく」という言葉はちょっと敷居が高いというか、手軽に取っつきやすいものじゃないって思われてるんだなって思った。

 

今回私は、バリスタマンとして挽きたてのコーヒーを提供させて頂きました。想像以上に皆さんコーヒーを欲して下さってドタバタしましたが嬉しかったです。

私自身、ワークには参加せずに客観的な立場で見させて頂いておりました。

 

「普通とは?」ということを主軸に参加者の皆さんで話している場面が印象的で、同じ「普通」言葉でも一人ひとりが話す「普通」という言葉の意味は全く異なるということを感じました。

自分が持っている意味を相手に押し付けるのではなく、知って頂く。

そのスタンスで使うことができたら、なんだかいいなって思う。

 

あなたが使う「普通」ってこういう意味ね。

ということが分かれば、私が使っている「普通」ってこういう意味なの。

 

そうすれば、お互い「普通」と言っていたことが、「普通」を使わずに表現できるきっかけになるし、互いの理解が深まる。

また、お互いの思っていることを出し合えるのは、同じ言語を持っているからなのだろう。

なるほど、哲学っぽく対話するっていうことは、自分の頭にある認識をいろんな角度や別次元で見れるようにするきっかけに得るのだと思いました。

f:id:hiro22yasu13:20181216000003j:image

4時間の長丁場のイベントでしたが、皆さんありがとうございました。

 

 

 

本日のつれづれ no.959 〜人間もひとつの自然だ〜

2018.12.14  【993日連続投稿】

 

人間も自然のひとつだ。

 

そう気づくだけで

ずいぶんと私たちは楽になる。

もともとあった命のリズムを

大切にしたいと思うことができる。

 

けれど忙しすぎる私たちは

いつもそのことを忘れてしまう。

野遊びはそれを思い出すためのスイッチだ。

 

野遊びは

どこにいてもできる。

家にいる時も

仕事中でも

子育てをしながらでも

自然を感じることはできる。

 

境界線はどこにもない。

心の中にしかない。

 

キャンプ場も都市も

日本も地球のすべての国も

おなじ空でつながっている。

(snow peak 2019年カタログより)

 

f:id:hiro22yasu13:20181214230154j:image

 snow peakより

 

おわり。

本日のつれづれ no.958 〜家と職場や学校以外に居場所があるということ〜

2018.12.13  【992日連続投稿】

 

サードプレイスっていう言葉がありますが、

私の中では、家と職場(または学校)以外の場所という認識です。

 

そういう場所でちゃんと自分の居場所があるってとても大切なことなのだろうなと思います。

 

家は心休まる場所であることが理想ですが、家族だからこそ人間関係がむずかしかったりすると居場所すらないこともありえます。

職場はやはり仕事をする場所ですから苦労が伴うことからはなかなか逃れられない人が多いでしょう。

 

だからこそ、

評価も競争もない存在を否定されない場所ってのが、人がいい感じで生きていく上で必要な気がしています。

 

おわり。

本日のつれづれ no.957 〜『ぼくの住まい論』 -自学自習②- 〜

2018.12.12  【991日連続投稿】

 

 学習というのは、本質的には自学自習です。自分で問題をみつけ、自分で解く。教師が出題して、採点して、格付けするものじゃありません。教師の仕事はただ「君たちは学ばなければならない。君たちがなぜ学ばなければいけないのか、私はその理由を知っているが、君たちはまだ知らない」と告げることだけです。それだけでいいのです。「教壇の向こう側に立つ人」は「私はなぜ自分がここにいるのか、その理由を知っている」と宣言するだけで教師になることができる。それだけで教える資格として十分なのです。教育というのは、そういう点では奇跡的なものです。

 

『ぼくの住まい論』 著:内田樹

本日のつれづれ no.956 〜ぼくの住まい論 -自学自習①- 〜

2018.12.11  【990日連続投稿】

 

 知性的・潜在的な潜在能力をどうやって開花させ、引き上げていくか、今の教育制度はこれをもっぱら利益誘導によって行おうとしています。成果を数値的に格付けし、格付け上位者には報酬を、会社には処罰を与えるという「人参と鞭」システムです。自己利益の増大を求める欲望と、処罰を恐れる恐怖心が人間を成長させると、この教育方法の推進者たちは信じています。それはずいぶん貧しい人間理解だと思います。

 僕の経験が教えるのは、若者たちの能力が上がるのは、報酬や処罰によってではなく、「学びたいことを学び、やりたいことをやりなさい」と言ってくれる年長者の支援があるときです。ぼくは「大人の仕事」はそれだけで十分だと思う。

 

『僕の住まい論』著:内田樹

本日のつれづれ no.955 〜学びと働く〜

2018.12.10  【989日連続投稿】

 

私が働いている就労支援B型事業所という障害福祉サービスでは、障害者が働くを通して一般就労に向けて学ぶという側面を持ちます。

 

就労するために教えることはたくさんできるし、そういうノウハウはたくさん世の中にあるんだけれども、就労した後自分なりにやり方や学び方を考えて働くということを意識した実践は未だ知らない。

 

それは働くということには、失敗することを良しとしきれないことがあるのではないだろうか。

取引先がある仕事になると、納期があったりそれなりの質を求められると、思い切って失敗から学ぶ機会を生むことはなかなか難しい。

仕事なのだから、失敗すると先方にご迷惑をかけることになるし、そもそも仕事に追われる状況で安心して失敗させることなんてできやしない。

 

今ある仕事が教えられたとおりにできることは成長だけれども、人や場所が変わっても発揮できる力は、誰かに教えられるものではなく、自分で身につけるものだと思います。

 

働く環境が変わっても自分が目指したいことが変わっていないのは、自分のエゴなのかもしれないという気持ちも持ちつつ、この道を進み続けようと思います。

 

おわり。

本日のつれづれ no.954 〜あまのじゃくの中の天邪鬼〜

2018.12.09  【988日連続投稿】

 

私は自分のことをあまのじゃくの中の天邪鬼だって思っている。

 

この土日に東京で障害者の就労支援フォーラムに参加した時に、色んな先駆者の方々のお話を聞いた。

なるほどな。

と思うと同時に、自分中での違和感を感じる。

その違和感を抑圧することなく、持ち続けていると、どうしても自分の道を自分たちの道を歩かしかないという気持ちになる。

 

あまのじゃくの中の天邪鬼。

傲慢にならず、自分たちの道を進みたいと強く思う2日間のフォーラムでした。

 

おわり。