2019.06.25 【1187日連続投稿】
毎週火曜日は、ワンピース好きの利用者と今週のジャンプの話をするという楽しみがあるのです。
ワンピースが休載の週でも今後の話の予想とかの話で盛り上がるのです(笑)
最近は鬼滅の刃も自分が読みだしたというと、先週の土日で読んできて話のネタが増え、火曜日の楽しみが増えました。
こういう雑談が人との繋がりでは大切なんだなって思います。
おわり。
2019.06.25 【1187日連続投稿】
毎週火曜日は、ワンピース好きの利用者と今週のジャンプの話をするという楽しみがあるのです。
ワンピースが休載の週でも今後の話の予想とかの話で盛り上がるのです(笑)
最近は鬼滅の刃も自分が読みだしたというと、先週の土日で読んできて話のネタが増え、火曜日の楽しみが増えました。
こういう雑談が人との繋がりでは大切なんだなって思います。
おわり。
2019.06.24 【1186日連続投稿】
何でも使い方が大切だと思っている。
例えば、カッターナイフ。
事務作業において不可欠で便利な物の反面、人を傷つけてしまう可能性もある。
例えば、ガスバーナー。
キャンプやBBQの時には、火を起こす便利な物の反面、誤った使い方で自分も他人も怪我をする可能性もある。
例えば、SNS。
気軽に友達と会ってなくてもコミュニケーションを楽しめ、知らない人とも繋がれる反面、プライバシーを侵害されたり、気付かないうちに誰かを傷つけてしまうかもしれない可能性もある。
要は、使い方を知らないのに使うから負の使い方をしてしまって、あたかもそのものが悪いように思われてしまう。
しかし、人間は環境によって大きく自分の行動が変わる生き物。
いくら正しいと思われる使い方を知ったところで、使い方が変わらなければ、猫に小判だ。
大切なのは、使う人の環境を整えるってことも使い方を知る以上に大切なんじゃないかって思います。
おわり。
2019.06.23 【1185日連続投稿】
何度間違えてもいい。
何度失敗してもいい。
でも、やり続けれさすれば必ずできる方向に向かっていく。
今は辛いかもしれないけど、前を向けなくてもいいけど、続けるってことの価値の証明が君はできるって考えると、まだまだ諦めるのは早くないかって思うよ。
※やりたいけどできないという状況に立たされている人へのメッセージとして書きました。
おわり。
2019.06.22 【1184日連続投稿】
毎日書いていると、
スラスラ書ける時もあれば、
ぱったり手が止まる時もある。
その違いは何だろう?
今まで考えたこともなかったが、今日初めて考えてみると
「日常の観察している度合い」ではなかろうか。
観察が繊細にできているときは、一見どうでもよさそうなことでも問いが生まれたり、発見があったりする。
観察が雑なときは、変化や気づきがあまりないのだ。
気づきがある・ないが重要ではないのだ。
気づき・学びとは結果的なものであり抽象的なものである。
気づき・学びが生まれる必須条件が観察の度合いは1つだと気付かされました。
おわり。
2019.06.21 【1183日連続投稿】
職場で座る椅子を変えました。
買ったわけではなく、隣の人と椅子を交換させてもらいました。
これまでは、背もたれが肩甲骨くらいまでしかなかった椅子でしたが、交換させてもらった椅子は頭まで背もたれがあるもので、首や肩を預けて休めることができるのは大きいです。
一週間経ってみて、首や肩の調子がとてもいいです。
本当に変えくれた隣の人に感謝です。
隣の人の誕生日には椅子をプレゼントしようと考えています。
おわり。
2019.06.20 【1182日連続投稿】
仕事でなんだか凡ミスが目立つなというときはないだろうか?
私は日々、凡ミスだらけなのだが。。
その中でも特に凡ミスが目立つ日は、毎日やると決めているらくだプリント(算数・数学)のプリントをやれていなかったり、単純な計算ミスが生まれてくる。
ミスしない人はいないのだろうけど、ミスが少ない人とミスが多かったり続いてしまう人の違いは、自分の状態を把握した上で修正することが無意識でやれているかどうかなのだろう。
実は、無意識でやってしまっていることに気づく機会は日常にたくさん転がっている。
だけれども、無意識だから気づかない。
何か1つでも、これをやるのはなんのためか?
と考えながらやるだけで、自分の現状がその物事に鏡のように映し出されていることを見ることができるのだと思う。
それが自分にとっては、らくだプリントでもありこのブログなんです。
おわり。
2019.06.19 【1181日連続投稿】
気合いではどうにもならないこと。
自分の意志ではどうにもならないこと。
自分の力ではどうにもならないこと。
他人を変えることはできないこと。
真の自分なんていないということ。
世の中自分の思い通りにいかないのはこのためではないだろうか。
そして自分の及ばないことが分かったら、自分のやるべきことが見えてくる。
おわり。
2019.06.18 【1180日連続投稿】
他人の課題を奪い取っては、他人の成長の機会を奪い取る。
例えば、「子どもに勉強してほしい」と思う人が、子どもに勉強させるために頑張って強制させる必要はありませんし、子どもが頑張ったらご褒美を与えるようにする必要もありませんし、モチベーションを高めるために褒め続ける必要もありません。
子どもが勉強しない=子どもが勉強しなかったら、どうなるか?を学ぶ機会なのだろうと思うのです。
勉強するかしないかは、子どもの課題なのです。
むしろ、勉強してほしいと思っている人の課題は、強制もせず放任もせず、子どもが勉強するための環境をいかにつくれるかということではないでしょうか。
言い換えるなら、勉強しなかったらどうなるのかを子どもに自覚できる環境がいかにつくれるかということではありませんでしょうか。
自分の課題を分かっていないことが、他人の課題を奪い取って、他人の成長の機会を奪い取ることは大いにあり得るのではないでしょうか。
おわり。
2019.06.17 【1179日連続投稿】
評価とはなんだろうか?
教員時代に思っていた評価は学力やどれだけ学んだかの評価であった。
評価というのは、どの仕事でもあるのだろう。
営業している方は、自分の成績に対して評価する・されるであろう。
経営についても、評価なしでやっているとことはあり得ないだろう。
現在の仕事でも、評価をする機会がある。
自分の仕事についての評価もあるだろうが、今日思っている評価は利用者への評価である。
利用者は、利用するにあたって計画(目標)を立て半年に1回は、本人へ自己評価を聞き、それを元にスタッフでも評価や課題について話し合い、新たな計画を立てます。
この評価についても、自己の評価と他者からの評価をどのように捉えるのかという問題もあり、評価というのは何のためにするのかで大きく変わってくるのだと思います。
評価の前に、その目的をはっきりさせること。
それがない評価には価値がない物なのではないかと感じます。
おわり。
2019.06.16 【1178日連続投稿】
ふと代表と話していて「障害の認識がより社会的に広がるには?」ということを話している中で、やはり精神障害や発達障害は、見た目では分かりづらいため何が障害なのか分かりづらいと思われる節があると思っている。
現在は、保健所で行われる0歳児・3歳児・7歳児検診で診断が降りるケースも多くなっていると身近の話を聞くが多くなってきた。
以前は、高校や大学でうなく馴染めず、環境に適応できず受診してみると発達障害の疑いがありますという、ケースが多かったように思える。
診断がされること・されないことについて言及はしないが、一つの側面を見るとより幼児の子を持つ親の方々には知られるようになってくる予兆があるのだと思う。
認識さえ広がっていけば、障害も血液型の違いくらいの認識で障害があることが「生きる上での障害(社会的障壁)」になれば、それはいいんじゃないかと思います。
血液型が診断されるのも、いつの時代から行われるようになったのかわからないので、はっきりと言えないが、時間をかけてそんな世の中になるような働きをしていきたいと思います。
ちょっと、血液型がいつから社会的に認識されるのようになったのか調べてみたいと思いました。
おわり。