名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

「ひろやす」と聞いて、名前だと思われる方が大半です。

本日のつれづれ no.337 〜教えないことの方が難しい〜

2017.02.16  【332日連続投稿】

 

ちょうど1年前の2016年2月16日に書いたことを見返してみました。

 

教えない教育と出会った。

教師を目指していた僕にとっては衝撃的な内容。

熱く子どもに教えることが教師の役目だと思い込んでいた。

全10回の井上淳之典さんによる「教えない教育シリーズ」のうち7回を受講した。

最初は、理論は理解できるけど、本当にできるのか?という疑問があった。


それでも、毎回のようにおこなうインタビューゲームやワークショップを通じて、

自ら気づいたことしか学びにならないという事が腑に落ちてきた。

教えるのではなく、学び手がいかに気づくように関われるか。

それには、そもそも学び手が学びたいと思わなければ意味がない。

そこがまず1番難しいところ。

教師を目指していた頃は、如何に導入で引きつけるか。生徒のやる気を引き出すか。と考えていた。

今はその考えに違和感がある。

どの子にも、「学びたい気持ち」「自ら学んでいく力」がある。

それを無視して、やる気を起こしてやるぞなんて少々上から目線すぎるなと思う。

「教えて伸ばしてやるぞ」という考えは、もっと上から目線でおこがましい。

教えるという行為は、その子の成長の機会を奪う。

そして、相手が求めることで初めて成り立つ行為。


教育者の仕事の醍醐味の1つとして、「子どもの成長に携われること」があると思う。

それは、そんなに子どもを成長させてすごいとか、
子どもから感謝される自分など
何かのgiveによって感じるものではなく、

ただ、相手のこうなりたい、こうしたいにスッと乗れる人が教育者。

支援でも指導でもない。

強制でも放任でもない。

そんな関わり方ができる人が僕にとっての真の教育者。

教えないのは、教える内容がないことではなく、

教えたいことはあるけど、本当に教えるためには教えないことが大切。

その人自身で学んで行けると信頼するところからスタート。


まだまだ僕も序ノ口で、分からないことだらけ。

でも、何も分からないわけではない。

毎日どーでもいいことをコツコツやり続けることからやっていこう。

井上さんをことばこさんをはじめ、色んな方と関わる中で学ぶことができました。
ありがとうございます。そしてこれからも、学び続けていきましょう。

 

現在、私は特別支援学校の常勤講師として教育者という側面があるが、教えないことは教えることより難しいと日々痛感しています。

 

ただ単に、全く関わりを持たず放任することは放任に過ぎない。

こっちが教えないようにして学んで欲しいなって思っていても、相手が同じ土俵に上がっていなければ、それはすれ違いなのだと思います。

時折やってしまうことが、「教えないことを目的化させてしまっている」ことです。教えない教育は、教えないことが目的ではなく、教えるために教えないという手段を取っていることのはずです。

そこの前提が崩れると、すれ違いが起きるのではないかと思います。

 

まだまだ日々、自分の未熟さを痛感しながら子どもたちと関わっています。

 

ついつい教えてしまって後で後悔する時もあります。

そんな自分への自戒を込めて書きました。

 

おわり。