2020.05.07 【1504日連続投稿】
今日は特別個人的な感覚を書こうと思います。
なんだか最近は、2週間近くらくだプリントができています。
GWなどの長期連休は必ずと言ってもいいほど、プリントをやらなくなってしまうのですが、今年は自粛傾向のお陰で旅行やキャンプに行かなかったため、やりやすいやりやすい環境だったんだと思います。
現在、平方根のプリントをやっているのですが、平方根の足し算で、昨日の時点で2枚不合格でした。
残りのチャレンジできるのは1枚で、これで合格できなかったら、、、
合格できないままつぎのプリントをやってしまうのか?
それとも、過去やったものを消しゴムで消してやってみるか?
とちょっと面倒くさい未来が待っていました。
無事に今日、時間制限時間内にノーミスで合格できました。
平方根の前にやっていた因数分解のプリントの時もそうだったんですけど、できなかった状態からできるようになった状態というのはやってみないと分からないもので、それは明確な線引きがやる前から分かるものではないのです。
やってみた結果として、「できない・できる」が生まれます。
できない→できるようになったと聞くと、いいこと・素晴らしいことのように聞こえて華やかな感じがすると思うのですが、実感は地味です。
むしろ、実感はあまりないのです。
それを考えた結果が、できない・できるがやってみた結果でしかないからなんだと思います。
できなかった結果に対しても、
できた結果に対しても、
ありのままに観られるかどうかなんです。
できなかったから劣っているわけでも、
できたから優れているわけでも、
ありません。
そこには、ただ、「できなかった」「できた」という異なる事実があるだけ。
だから、一喜一憂することなく、日々淡々とやる続けることが、
自分を受け入れることに関しても、
他者を受け入れることに関しても、
経営をしていくに関しても、
重要なことなんだと思います。
《本日の晩酌》
なし。
おわり。