2022.10.05 【2374日連続投稿】
今週から「5分でもいいからうちのB型事業所で作業をしていく」と約束していた利用者が早速月曜から弁当だけ食べて、帰宅するということが起きた。
これまで弁当だけでもいいから毎日通うことができるようになったその方を次のステップに進めるために、トータル10時間以上話し合った。
紆余曲折あり、今週から「5分でもいいから作業する」と決めた。
※5分の理由は、うちが労働時間を5分単位で計算しているので、4分までは0分と同じことになってしまうため。
月曜は本人の姿を観ていなかったが、スタッフから話を聞いて本人に電話をかけた「なぜできなかったのか?」を知りたかったからだ。
電話をすぐに取ってくれて、理由を聞くと「眠たかったから」と答えてたので、「眠たくても5分作業することができないわけがないと廣安と思ってしまう」というと、本人は「確かにそうですね。」と答えていた。
翌日から本人は10~20分くらい働いたあとに弁当を食べるようになったのだが、本日「できるようになったのはなんで?」と聞くと、「廣安さんに怒られたからです」と言っていた。
個人的には「怒ったつもり」は全くなく、思ったことを伝えただけであったが、本人は「怒られたと受け取ったのか」と自分の言動をふり返るきっかけになったのと、続けて本人は「言われて、確かに5分できない理由にはならないとハッと納得しました」と言っていた。
相手にどう受け取られるかを気にするのは重要だが、気にしすぎていては何も生まれない。
相手が怒られたと思っても「伝えたかったことが伝わったこと」が確認出来てよかった。
これが「怒られた」だけ情報を拾っていると、「悪いことしちゃったな」と思ってしまうのが私の性格なのだが、踏み込んでそのコミュニケーションで何がお互い変わったか?を確認し合えれば、お互いの理解が深まる。
自己理解は一人ではできない。
私自身の振る舞いが周囲にどんな影響を与えるのか?その影響を知った私の心はどんな動きをするのか?
相手も私の言動によって、気付けなかったことに気付くことがあった。
もちろん、私と私で対話をすることも重要である。
しかし、他者と関わることで得られる発見は、他者として関わらない限り得られないのだ。
他者と関わることにビビらず、何かあっても自分を嫌悪する必要もなく、関わりを自己のフィルターだけで振り返らずに行うことで、自己理解をお互いができるようになっていくのだろう。
おわり。