名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

「ひろやす」と聞いて、名前だと思われる方が大半です。

本日のつれづれ no.1276 〜詳しいことの話題っぽくなるとついつい長く話してしまいませんか?〜

2019.10.21 【1306日連続投稿】

 

突然ですが、以下のような経験は誰しもありませんか?

 

 ときどき、バランスを欠いて、細部をやたら長々と説明し始める人がいます。これはたいてい、無自覚に起こる。勉強によって何かに詳しくなるとついやってしまいがちなことです。

 

 たとえば、誰かが『ドラゴンボール』を「懐かしいねー」と言い始める。どのキャラが好きだったとか、思い出の場面とか、テンポよく話が流れていた。ところがその途中で、こんあ発言が始まる。「ヤムチャと言えば、“負けキャラ”だよね、悟空に負けたときはどうでこうで、それから何々でも負けて、あと天下一武道会天津飯に負けたときは、あの闘いで・・・」

 

 この人は、まさしく『ドラゴンボール』の話を始めてしまった。

 残念ながら、勘違いです。確かにこの場では『ドラゴンボール』が主題ですが、そのこと自体が目的なのではない。思い出を共有し、親睦を深めるという言語行為に主眼があるのであって、時間的な制約もあり、その限りでの話をするというのがここでのコードでしょう。

 ところが、この発言のように細部が増殖していくと、他のみんなは置いてきぼりになり、言語が自己目的的になっていく。言語が言語として独立し始め、場から「浮いて」しまうのです。

 

 他のみんなは、親睦のために、加減しつつ『ドラゴンボール』の話をするのがここでのコードだと捉えている。ところが一人だけ、まさしく『ドラゴンボール』の話をすれば、ここでのコードに当てはまる、コードの適用として適切だ、という勘違いをしているのです。

 コードの一部である『ドラゴンボール』へと、コード全体が「縮減」されている。

 新しい見方へとコードが拡張されるのではなく、コードの一部へとコード全体が縮減されてしまうのが、「縮減的ユーモア」である。

 

千葉雅也『勉強の哲学』p.101〜102

 

確かに、あえてボケでやる人もいるだろうけど、無自覚についつい起こってしまうのはどうしてなのか??

 

次回は、そこに触れたいと思います。

 

おわり。