名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

「ひろやす」と聞いて、名前だと思われる方が大半です。

本日のつれづれ no.383 〜授業を練る時は自分と向き合う時かも〜

2017.04.07  【382日連続投稿】

 

来週から授業が始まるので、担当することになった授業を練っています。

 

私が勤めている特別支援学校では、先生は特定の授業のみ行うのではなく(国語の先生は国語の授業だけ、体育の先生は体育の授業だけではなく)、複数の教科・領域などの授業を担当することになります。

 

私が特別支援学校で働いてみて良いなぁと思うことの一つとして、教科を合わせた指導ができる環境があるということがあります。

 

どういうことか端的に言うと、普通校ですと国語と数学は別々で行われますが、この二つを一緒に行うことを合わせた授業ができるということです。

 

色んな学びは必ずどこかで繋がりができるものなんじゃないかと思っていますし、柔軟に授業が行えるのではないかと思っています。

 

そして私は、日常生活の指導という授業を1年間やらせて頂けることになりそうです。

 

まだまだ、この授業がどういうものなのか捉えられていませんが、結構自由に色んなことをやれそうな印象です。

 

どんなことをしたいか?

何を大切にしたいか?

何を伝えたいか?

 

そんなことを思って授業を練っていると、自分のあり方や生き方を掘り下げているような感覚になってきました。

 

授業を練るときには、生徒を把握することや限られた時間と人数などのハード面はもちろん大切だと思いますが、自分と向き合う作業は欠かせないのかもしれません。

 

そんなことを考えている中で今日、ふとキーワードが浮かび上がってきました。

 

「目標を達成する為に目標にしない」

 

学校教育だと必ず目標やねらいといったものがあります。

そこに向かうけれども、捉われすぎないことから得られる学びも大切にしていきたい気持ちもあり、色んなことに対してスッと取り組める姿勢を大切にしていきたいなぁと思ったのだと、後付けで考えました。

 

とりあえず、昨年度と同じような内容・流れで取り組み私自身が学んでいこう思っています。

 

仕事でも自分と向き合う機会がさらに増えてきそうです。

これからが楽しみです。

 

おわり。

本日のつれづれ no.382 〜仕事で大切にしたいことに目を向ける〜

2017.04.06  【381日連続投稿】

 

最近は1日があっという間以上に過ぎるのが早い気がします。

 

もし他人から今の自分の生活を見ても分からないかもしれないが、結構楽しいです。

 

昨年度と同じ学校で講師をしていますが、初めてやることや分からないことはまだまだたくさんあります。

むしろ、一年経ってやっとなにが分からないのか少し分かるようになってきたという感覚です。

 

毎日毎日、周りの先生方に助けて頂きながら日々を送っています。

そして、何とか明日の始業式を迎えられる気でいます。 

 

 来週からは授業ということを考えると、さらにバタバタする日々になっていくのだろうなと思います。

 

そんなに中でも、大切なことを忘れないように今日は書きたいです。

 

やはり一番大切なのは「子どもとの関わる時間」なのだろうと思っています。

 

子どもと関わる時間をいかに大切にできるかということを心に常にとめておきたいです。

 

子どもと関わる時間を大切にする為に、その他のことに力を入れないといけない場面が出てくると思いますし、いろんなことが繋がっているからこそ、「子どもに関わる時間」を大切にしたい気持ちを忘れないでおこうと思います。

 

さらに言えば、どんな仕事内容であっても大切にしたいことに繋がってくると思うと、色んなことに対して問いが浮かんでくるんじゃないかなと思いました。

 

今年一年にとにかくやり切ろうと思っています。

 

おわり。

本日のつれづれ no.381 〜できることからやればいい〜

2017.04.05  【380日連続投稿】

 

とりあえず、新年度が始まってやることがたくさんあるのは分かるんだけれども、何をどうやればいいのかよく分からないことがたくさんあります。

 

まず何をやればいいのかすらよく分かっていないんじゃないかと思います。

 

そんな時は、できることからやっていくことが大切なんじゃないかとふと思いました。

何だか当たり前のようだけれども、今まで大切だと思っていた以上に大切だと思ったのです。

 

できることをサッとやることは大切だとよく言われると思っています。

当然、締切など時間的なこと大切ですが、とにかくできることからやっていくことを今は書きたいという気持ちです。

できることからやっていくと、できないことや分からないことが残っていきます。

そうすると、できないことや分かっていないことをやる以外ない状況になればやるしかないです。

 

だから、無駄な時間を使ってしまうくらい「何からやろう??」と迷ってしまうのであれば、できることから手をつけていけばいいと思うのです。

 

もちろん、何からやろうがその人の裁量だと思っています。

しかし今日私が思ったことは、できないことや分からないことを避けたくなるけど、やるしかない状況を作ることは一つの手だということです。

 

さらに言えば、できるできない・分かる分からないを考えずスッとやるということは、できない・分からない自覚が前提として必要なんじゃないのかと思いました。

 

まぁ、できないことや分からないことばかりに目を向けすぎても全体的に偏りが生じると思うので、万遍なく現状を把握することがやはり非常に大切なんだろうと思いました。

 

私としては、周りの方が助けて下さる内に足下を固めておきたいと思います。足下を固めるというのは、分からないことできないことをスッとやるということです。

 

おわり。

本日のつれづれ no.380 〜分からないをよしとする〜

2017.04.04  【379日連続投稿】

 

分からないをよしとする。

 

分からないをよしとすると、分かる方向に向かっていく。

 

分からないを楽天的に「良し」とするわけではなく、現状を受け入れると言う意味で「よし」とする。

 

分からない状態を「良し」とすることは、分からない状態への停滞や自分の中で分かった気でいるということだと思っている。

 

分からないを良しとすることは、分からないことを盲点にし、自分の中でやり繰りしてなんとか分かるを優先することであると言い換えることができるかもしれない。

 

また分からないを悪しと捉えることも同じようなことが起きる。悪しと思うと良しにしようと思うからである。

 

分からないをよしとするからこそ、分かる方向に向かうようになるのではないだろうか。分からないをよしとすると、むしろ「分かっていく以外の道はない」という感覚の方が近いかもしれない。

 

良し悪しで判断するのではなく、よしとすることがなかなか難しい。

大抵の人は、できる自分でありたいし分かっている自分でありたいと思っているのではないかと思うから。

分かっていない自分を受容することは、体験を経験を積めば積むほど難しいことになりかねない。

 

「一回やったことあるんだから」とか「そんなのできて当たり前」など思われると感じても、サッと隅に置いておこう。

 

分からないをよしとすれば、随分前に進んでいく気がしている。

 

おわり。

 

本日のつれづれ no.379 〜身の丈に合わせて〜

2017.04.03  【378日連続投稿】

 

仕事がないと、ソワソワしたり不安になったり。

 

仕事がありすぎると、大変で疲れ果ててしまう。

 

仕事があり過ぎても、なさ過ぎても、不安定。

 

自分ができることを知っている人は不安にはならない。

 

新しいことを無闇に掴みにいこうとしなくていい。

 

自分ができる範囲をきちんと理解し、続けていけば、枠を広げるチャンスなんていくらでも転がっているはずだと思う。

 

自分の身の丈にあったことをしていこう。

 

新しく挑戦することなんて、当然のように身に起こるのだから、自分を大きく見せようとせず、身の丈にあった自分でいればよいのだろうと思いました。

 

今の自分は、何から手をつけていいのか分かっていない状態なんだと言うことがよーく分かりました。

 

おわり。

本日のつれづれ no.378 〜力を抜いてやってみるか〜

2017.04.02  【377日連続投稿】

 

もし自分が変わりたくなくても、周りは一瞬一瞬移り変わっている。

 

今の自分から変わりたいのであれば、力を入れるよりもむしろ抜くこと。

 

周りが変わってるんだから、スッと流れに身を任せるようにすればいい。

 

いつまでもその場にいようとするほうが、ずっと力を入れている。

 

手に入れたら何かが変わるんじゃなくて

 

手放すと、代わりに何かを掴もうとするんだろうは。

 

構えたってしょうがない。

 

スッと身を委ねることをしてみよう。

 

 

2年目といえ、明日から今までとは違った日になるかもしれないと思った自分に向けて。

明日からの新社会人になる人へ向けて。

明日からの新しい人生が始まる人に向けて。

 

おわり。

本日のつれづれ no.377 〜新年度になっても自分は自分〜

2017.04.01  【376日連続投稿】

 

体調はずいぶん良くなり、花粉症の症状が残ってる感覚で、ついに愛知県でも花粉症の症状が出てきたかと思っています。

 

今日から新年度になり、環境がガラリと変わる人も多くいるんだろうなぁと思います。

 

環境が変わってもいきなり大きく自分が変わるってことはほとんどないんだろうと思います。

 

そんなに環境が変わらない人はもっと成長したいであったり、できることを増やしたいと思うこともあるんじゃないかと思います。

 

環境が変わらなくてもいきなり成長したり、できることが増えたりすることはなかなかないんじゃないかと思います。

 

「できない自分」と「できるようになりたいと思っている自分」どっちの自分も大切に向き合っていけばいいんじゃないかな。

 

1日1回でも自分との時間を取りたいものだなぁと私はいつも思っています。

 

自分と過ごす時間がちゃんとある時は、他人と過ごす時間はとても楽しい時間になるんじゃないかと思っています。

 

春の季節は、出会いが増えるからこそ一人の時間も大切にしたいものです。

 

おわり。

本日のつれづれ no.376 〜社会人1年目を終えて②〜

2017.03.31  【375日連続投稿】

 

昨日の記事で社会人1年目を終えた振り返りを書きましたが、まだ続きがあるぞという余韻を残して終わったので、今日はその続きを書けたらいいと思います。

 

とは言っても、これと言ってハッキリ自分の中にあるものではなく感覚的にボンヤリとあるものを掘り下げていくことになると思っています。

 

掘り下げていく時は、自分と付き合うようなものだなぁと思うようになってきました。

 

 

もしかしたら、「人の役に立ちたい」という欲で仕事を選ぶ節があるかもしれない。あるいは、仕事の中で「役に立ちたい」と思うのかもしれない。

さらにいうとその「役に立ちたい」という欲は、「人より優れていたい」という欲と言い換えることもできるのだと思います。

 

そもそも仕事にどんな動機があったのかというのは、後から付いてくるものであってやる前からそんなに重視しないほうがいいのではないかと思いました。

何をしたらいいのか分からなくても、何かをやっている中で見つけられるものは確実にあるだろうと思います。

 

そう思うと、役に立つ仕事に就きたいと思うこと自体がなんだかナンセンスなのかもしれない。

仕事である以上きっと誰かの役に立っているし、「役に立ちたい=何もしない自分はダメな人」と思い込んでいるんのではないかと思います。

 

もちろん、仕事に求めることは人それぞれあるとは思いますが、正直どんなこと仕事としてもいいんじゃないかと思うのが私の正直な気持ちです。

 

大切なのは仕事を通じて、どんな自分でありたいか、どんなものを創造したいかという部分であって仕事の中身にこだわればこだわるほど、遠回りしている感覚です。

 

敢えて言うなら、「いい仕事をしたい」という気持ちはあるだろうと思います。

何を持っていい仕事というのかは、それぞれ違うのは当然だと思いますが、それぞれが思う「いい仕事をしたい」を求めるのではないかと思います。それは、自分が発揮されるものであったり、大切にしたいことを大切にできることであったりするのではないかと思います。

 

そう考えると、働くを通して「どう生きたいか」が見えてくるような気がしています。

1年を働いてみて、自分がどう生きたいのかをはっきり分かることはないですが、ぼんやり見ようとはしているんじゃないかと思います。

 

この1年間忙しさに埋もれることなく、自分ともうまく折り合いをつけながらやってこれた自分がいるからこそ、こうやってかけているのだと思います。

 

続きといってもちょっと抽象的なものを書いてしまった感じですが、一歩引いて見ることも時には大切と思ったのでしょう。

来年度は今年度の積み重ねと新しい一歩を踏み出そうと試みる一年になる気がしています。

とにかく、仕事があるということに感謝しています。

まぁそれでも、毎日書くことはやめようとは思いません。

目的がなくやることを日々大切に淡々とやっていこうと思います。

 

おわり。

 

 

本日のつれづれ no.375 〜社会人1年目を終えて〜

2017.03.30  【374日連続投稿】

 

とりあえず、今日で今年度のお勤めは終了になりました。

 

流れるように偶然のきっかけで働くことになった今の職場ですが、よくこんなにいい職場に巡り会えたなぁというのが正直な感想です。まだ、他で働いたことなない自分が言うのもなんですが。

 

社会人になって働くってことは、辛く厳しいことや甘えは許されないなどのネガティヴに捉えた部分ばかり学生の時は気にしていたのかもしれません。

 

実際の1年を終えた私の主観では、大変なことは全くないとは言えませんが、大変に勝る分のやりがいであったり喜びを仕事を通じて得ている気がしています。

 

2016年4月1日〜2017年3月29日までのブログをザッと目を通すと半分以上が仕事を通して感じたことや気付いたことを書いていました。それだけ私にとって仕事に重きを置いていたのでしょう。

 

2016年4月くらいの記事では、「能動性」(自分から働きかけること)と「共感力」を意識して働きたいと書いていました。

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 本日のつれづれ no.74 〜どんな力をつけたいか?〜 - 名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

 

今振り返ると、こんなこと最初は思っていたんだといういうくらい今は忘れていたので、意識していたかと問うと意識していなかったものだけれども、多少は自分の枠を広げることは自分主観の中で意識していたと思っています。

 

とにかく分かったことは、「できない」「分からない」けど進むしかないという環境に身を置くことができた一年であったということです。

できなくても逃げることはできないし、やるしかないとなったらなんとかできるように動くものなんだと思いました。それは一年を通して常に「できない」「分からない」を自覚していたからかもしれません。

いつの間にか、できない自分を受け入れで自分のできる行動から少しずつ広げていくイメージで動くと、できないことや分からないことでもなんとかなるイメージを思っているようになりました。

 

一番の変化が、「できないから、分からないからこそ他者に頼ること」を覚えるようになりました。

今まではどうも自分一人でやらなければいけないと思うことが多々ありましたが、自分だけではどうしようもないこと状況にたくさん出会ったからこそ、いつの間にか問題を抱えたり一人で悩んだりすることはなくなっていったと感じています。

 

社会人1年を振り返ろうと思って書き始めましたが、どうやら働いているって感覚はあまり持っていない自分がいるのだなぁと感じました。お金を頂きながら、学びと喜びも頂けて想像以上に充実した1年でありました。

 

まだ書きたいことがある気がするので、明日に続きを書こうと思います。

 

おわり。

本日のつれづれ no.374 〜少し体調を崩して思ったこと〜

2017.03.29  【373日連続投稿】

 

久しぶりに少し体調を崩しております。

 

身体が弱っている時には、心も弱っている気になります。

 

そんなときに「体調を崩して、自分は管理がなっていないなぁ」と以前はよく思っていましたが、「普段では気付いていないことを教えてくれる機会なのだ」と捉えようとする自分が今はいます。

 

ついつい早く治したいから病院に行って薬をもらって、という行動を取ってしまうが、そもそも人間に備わっている治癒力を信じることをもっとしてもいいと思います。

 

それでも、仕事などでどうしても休められない世の中なのだなぁと思うと、なんだか病気と向き合うことは、自分の生き方に向き合うことでもある気がします。

 

医療や薬とはうまく付き合うと言いますか、依存しない付き合い方が理想なのかもしれないなぁと思いました。

 

結局、受診しました。

なんで受診したのかっていうと、なんだかんだ仕事のことを考えると受診する選択を捨てることはできなかったからです。

もしインフルエンザだったら、などの思いがあると不安になる自分がいますし、他人に診てもらうことが安心になる気がしました。

もしかしたら、受診したという事実が自分にとっては一番の鎖なのもしれないと思いました。

 

自己治癒力で治すのがいいと先ほど言っておきながら、やはり誰かに頼ることも大事なのかもしれないと思いました。

 

おわり。