名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

「ひろやす」と聞いて、名前だと思われる方が大半です。

本日のつれづれ no.350 〜心は亡くならないんじゃないのか?〜

2017.03.03  【347日連続投稿】

 

1週間はあっという間に終わる。

 

長いように思っていた時はあるが振り返ると、あっという間に過ぎていることに気付く。

 

忙しいとかゆとりがあるとかでなく、その時自分が存在していたことが何よりもかけがいのないことなのではないかと思います。

 

忙しくても心が亡くなることはなく、ゆとりがあろうがなかろうが心はあるのだと思います。

 

どんな自分でも生きていることを自分で受け入れて、生きていることが大切なんじゃないかと思います。

 

私は、心を亡くすという言葉を聞いて、心が亡くなるってのは、ないんじゃないかと思います。

 

もし、肉体がなくなっていても、その人の心は誰かの中で生きてるんじゃないかと最近ますます思うようになってきました。

 

それなら生きている人はなおさら、心がないことなんてないと思います。

 

心ってなんだ?ということが分からなきゃ、私自身も私が言いたいこと、表現したいことが何なのか分からないです。

 

もし、心ってものが自分なりにしっかりと腹に落ちた時、それは自分が言葉にならない言葉を自分の中で言葉に変わる革命が起こるんじゃないかと思っています。

 

おわり。

本日のつれづれ no.349 〜立場や役割があるから、個人は輝く?〜

2017.03.02  【346日連続投稿】

 

 立場や役割がなく生きている人はいないと思っています。

 

誰もが気づかなくても、親だからとか、会社では上司だからとか、立場が役割があるから、つくられるその人があると思います。

 

今日の仕事中に、管理職の方がどうしてもその状況では叱っておかないといけない状況で叱ったのだろうと思える場面に遭遇した時に、ハッしました。

 

叱られた方は結構心穏やかでなかったのですが、周りの方に「あれはしょうがない」と言われると「まぁそうかもしれないけど、下っ端は辛いねぇ」と言われていました。

 

私から見たときは、必然的に叱かり叱られる関係が生まれる状況だったのだと思ったので、立場で人は結構行動しているよなと思います。

 

立場上しょうがないことって、あるんだなぁと私は勝手に思っていますが、話を掘っていくと人は関係性によってその人がどうするのか決まるのではないかと思っているので、やっぱり立場や役割はその人の一部になっているのだと思います。

 

集団の中で生きている以上、自分がそうしなければならないことは確かにあって、変えることのできないことはあるのだと思います。

変えられない状況を受け入れた時に初めて、自分の裁量といいますか、個人が発揮される時なのだろうと思います。

 

立場や役割があるからこそ、個人は輝くのではないかと仮説じみたことを思っています。

 

ちょうど今読んでいる本の内容とリンクしたので、書き残しておこうと思いました。

 

おわり。

本日のつれづれ no.348 〜やる気に左右されないようにしたい〜

2017.03.01  【345日連続投稿】

 

朝に弱い私ですが、今日は目覚めが冴えていて、朝から絶好調という気持ちでした。

 

やる気が溢れてきて、自然と乗ってくる感じでした。

 

しかし、お昼を食べた後からどんどん調子が悪くなっていってしましました。

 

「熱があるかもしれない」と思って家に帰って、検温してみると、なんと平熱。

 

こりゃどうなってるんだ?と思い返すと、やはり朝から張り切りすぎたのが、よくなかったのかと思います。

 

やる気が溢れるから、気持ちが先走るように活力があるから、といって頑張っても後がしんどいんだよなって改めて思いました。

 

年度末に入ってきて忙しくなると思いますが、「頑張らない」ことを意識してやることをスッとやるようにしていこうと思います。

 

今はもうすっかり調子は悪くないですが、早めに寝ようと思いました。

 

おわり。

本日のつれづれ no.347 〜「いい関係性」ってなんだ?〜

2017.02.28  【344日連続投稿】

 

 よく関わっている生徒と久しぶりにやり合いました。

 

給食時間に次の授業時間が迫ってきていた時に、まだパンが残っていたけれど食べる様子がなく、「まだ食べるか」と聞いたり、口に近づけたりしても食べなかったため「ごちそうさましようか」と声をかけました。そして、片付けようとすると机をちゃぶ台返ししそうになるほど不機嫌になってしまいました。

 

あ、本当は食べたかったんだなとすぐに思いました。

次の授業も迫っている中これ以上延長は難しかったので結局片付けましたが、その生徒は周りにあるもの全て投げてしまいそうになるほど、気持ちが荒れてしまいました。

 

ここ1ヶ月ほどは、嫌なことがあっても私に対しては叩いたり引っ掻いたりして伝えることがなく、少し人と接する態度がいい感じに変わってきたと私は感じたいたのですが、久しぶりに私一人では対応できない状況になりました。

 

担任の先生が私の代わりに対応して頂くと、その生徒は気持ちを切り替えることができて、次の授業に間に合うように向かって行きました。

 

信頼関係までとはいかないが、少しはいい関係性を築けていると思い始めていたので、少し落胆している自分がいました。

 

でも、こうやって少し落ち着いて考えると「いい関係性」ってなんだろう?と問いが浮かびました。

 

言うこと通りに動く生徒と私の関係が「いい関係性」とは言えるわけないと思いますし、むしろここ1ヶ月は我慢していたこともたくさんあったかもしれないなと思いました。

 

表面的な問題が起こらないことを良しとすることに目を向けてしまっていたのかもしれません。

 

意識できてないことが必ずあって、それが募りに募って現れたのかもしれないです。

 

いくら一方的にが上手くいってると思っていても、相手は態度や言葉にしないところで、不安や苛立ちなどを抱えてしまっているかもしれないです。

 

今現在上手くいっていなくても、またお互い築き上げていこうとする姿勢が大前提にある関係性があるってことが「いい関係性」なのかもしれないと思いました。

 

今日は、その生徒はその後寝入ってしまったので、また明日からその生徒と小さなことから築き上げていきたいと思います。

関係性って、日々変わるものだし「いい関係性」だと薄っぺらく思い込んだ時には、盲点が生まれやすいのかもしれないなと思いました。

 

おわり。

本日のつれづれ no.346 〜「できる」「分かる」に寄りすぎないように〜

2017.02.27  【343日連続投稿】

 

「できる」や「分かる」が学びのゴールであるならば、「できる」や「分かる」を目的とした教える行為は、教える立場の人が教えられる立場の人をゴールまで連れて行ってあげることだと思います。

 

「できる」や「分かる」を目的としない教える行為は、そもそも「できる」「分かる」を学びのゴールとして据えていないのだろうと思います。

「できない」「分からない」からこそ自ら学ぼうとするのだと思います。

そこには、「できないんだからできるようにならなければならない」といったことも存在しないし、「分からないことがいけないこと」という考えも存在しないのではないでしょうか。

 

その中である1つの問いの答えが自分が分ったりした時に、学びの面白さを実感するのだと思います。そして、また新たな問い浮かぶのだろうと思います。

 

「できる」「分かる」をゴールにしてしまうとその先はないそうに感じます。できたら学ばなくていいし、分ったら学ばなくていいのです。

 

月曜日ってのは、土日に色んなものを取り込むことがあると、職場での自分の感じ方や捉え方が変わる気がしました。

 

おわり。

 

 

 

本日のつれづれ no.345 〜大切にしたいことは既に自分の中にある〜

2017.02.26  【342日連続投稿】

 

自分の理念や本当に大切にしたいことってなかなか見つからない。

 

見つけたようで気付けばもっと大切にしたいことがあったと気づくことが繰り返される。

 

だけれども、どこかに大切なものがあって探すものではなく、本当は既に自分の中にあるものなんだ。

 

色んな経験から呼び起こされるのを待っているだけなんじゃないだろうか。

 

分からないから立ち止まることも大切だけれども、分からないなりに進むことはもっと大切に思えるようになってきた。

 

おわり。

第7回インタビューゲーム会@サムハプを終えて

2017.02.25  【341日連続投稿】

 

本日は、私が住んでいるシェアハウス「サムハプ」にて、第7回になるインタビューゲーム会を開催しました。

 

《インタビューゲームとは》

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インタビューゲームについて - 名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

 

今回は、3名の方にご参加頂きました。

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今まで奇数の参加人数の時は私も参加して調整していたのですが、今回参加された方々とはインタビューゲームをしたことがあったため、変則的な形式にしました。インタビューをしている2人を観察する「観る人」という役割を設けて、3人でインタビューゲームをする形式をとりました。

 

〔参加者の感想〕

◯ 質問で、大切にしていることは何かと聞かれたとき、言葉に詰まりました。実際にはそれは自分の中にあるはずだけど、言語化されてないからすぐに出なかったのだろうと思います。

好きなことは答えられる気がするんですけどね。大切にしていることは、もっと具体的なことだから、意識して取り組んでいる人だけが言葉にできるものなのかと思いました。

何かに対して自分が言葉をもっていないことに気づけるのは人と話すことの良さのひとつだとあらためて思います。みなさま今日はありがとうございました。また会いましょう。

 

◯今日のインタビューゲーム会に参加して、まず感じたのは人からの「問い」の大切さです。人から問われることで自分の無意識や盲点に焦点があたり、確認をするという行為が生まれます。日常の中で意識できていなかったり、自分の中で当たり前として分かったつもりになっていたことが実は取り組めていなかったことに気づけました。そして今日は「大切にしていることはなんですか?」という問いを何度もしてもらうことで、自分が大切にしていることを再確認するとともに、自分が正解幻想に陥っていることに気がつきました。インタビューゲームも日常のコミュニケーションも「正解は何か?」より「大切にしたいものは何か?」に基づき行えたらより生き生きとしたものに変化するかもしれません。人にも自分にもその人が大切にしたいことに気づける問いを出すことを心がけて日々生活したいです。

 

◯・相手によって質問・話し方が変わる。

    ・聞き手のまとめ方にも特徴がある。

    ・自身と相手の視点が異なる。

    ・関心によって質問が変わる。

    ・決めている問いはあるのだろうか?→人によって違いが分かる良さもある。

                                                             →関心は変わるものであるから質問も自然と変わってゆく。

    ・第3者(観る人)→聞き手がどんな質問をするかによって聞き手の人柄や考え方が分かる。

                               →自分との対話では見えないことも分かるかもしれない。

                               →第3者がいることで、インタビューしている者同士では気づけない盲点や人によ

                                   って雰囲気など変わることが気付ける。 

    ・相手と築きたい関係性によって質問が変わる。 

 

私の気づきとしては、今回は3人でインタビューゲームをするという変則的な形式をとった良さが見えました。もし、今までのように私が入ってペアが2グループの状態や複数グループですと、振り返りの際に他のグループからの意見がなかなか腹に落ちなかったり深まらなかったりすることが今まででありました。それは、私の中では悶々としたものとして残っていて一つの課題だなぁと感じていました。しかし今回は、私も含め参加者全員が同じ空間に参加していたので、振り返りでの気づきや学びが広く深かったように感じました。また参加者の感想にありましたが、第3者の存在がお互いでは気づけなかったことに気づかせてくれる存在であった気がしました。機会があれば、3人グループを2つ作ってやるとどうなるんだろうかと気になっています。少しインタビューゲームを使ったワークショップの幅が広がってきているように思えます。

 

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次回のインタビューゲーム会は、3月19日(日)14〜18時です。場所は、私が住んでいるシェアハウス「サムハプ」です。

 イベントページはこちら→【定員6名!】第8回 インタビューゲーム会@サムハプ

 

おわり。

本日のつれづれ no.344 〜流れに任せて、飲み込まれないように。〜

2017.02.24  【340日連続投稿】

 

誰かに何を言われたとしても、それに従わなければならないといけないことはないと思います。

 

相手が自分のために言ってくれたアドバイスだったんだなって思うくらいでちょうどいいと感じます。

 

いろんな物事が流れで決まることって結構多いと思います。

 

決まる前にあれこれ考えたり、決めても始めるま前に不安になることは、当たり前だと思います。

やったことないことは、たとえやりたいことであったとしても不安がつきまとうと思います。

 

ただ、それはどうな人もそうなんだと思たら気が楽になるし、今までの自分がごそっと変わるかといったらそうでもない気がするから、対して不安になることもないとも思うのです。

 

流れに身を任せながらも、飲み込まれないように生きていきたいと思いました。

 

おわり。

本日のつれづれ no.343 〜「頑張ること」と「成長」の関係について〜

2017.02.23  【339日連続投稿】

 

頑張っていない子どもなんていないとふと思いました。

 

それぞれの可能な範囲で頑張っていると心底思っています。

 

学校で眠ってしまう生徒は、24時間や1週間など大きな時間枠で捉えると「そりゃ学校で寝てしまうよな」と思うような生活をしていたりしており、その子自身に全て責任があるとは言えない気持ちになります。

 

私の目の前にいる子どもの姿は、一側面でしかないですし、関わる人が変われば子どもも変わるのだと思います。

 

だから、「この子は、私の目の前ではだらしないからダメ」「人を選んでやっている」という考えは範囲を狭くして子どもをみていることになると私は思っています。人を選ぶのも力だと思うようになってきました。

 

そもそも、「相手の行動をだらしない」と捉える自分自身の捉え方を見つめ直す方がいいと思うのです。

目の前のその人を変えたいと思うのは、自分の欲望が大部分を占めると思うからです。相手を支配しようとまではいかなくとも、少なくとも相手を自分が思っているように動かしたいと思っていることに無意識でいることは、私は好きではないです。何か違和感を感じた時は少なくとも「相手」と「自分の捉え方」という二軸で分けて考えた方が、変な思い込みを外せるように思います。

 

 

「頑張らなければ、成長しない」

または、「頑張れば、成長する」

 

そんなことを無意識に思っていた自分がいるような気がします。

 

「頑張るってなんだ?」

「成長するって、何を持って成長というんだ?」

 

子どもたちをみていると、日々過ごしているだけで成長しているように思える。

それは、こちらが求めなくともすでに頑張っているということなのだろうか?

 

成長ということが、できることが増えることだけでなく、幅が広がることや深められたりすることも成長であると思うから、過去のその子どもと今のその子が変化していれば成長なのかもしれない。

そもそも頑張らなくても人は変わってゆくのだから、子ども限らず人は勝手に成長するということになるな。

 

だから、肩の力を抜いて今やれることを淡々とやることで自然と成長は促進されるのだと思いました。 

 

私の中では「頑張ること」と「成長」の因果関係はなさそうです。

 

おわり。

本日のつれづれ no.342 〜分からないことはチャンス〜

2017.02.22  【338日連続投稿】

 

分からないことに出会った時の心得として、まず自分は分かっていないことを分かることが大切なんだと思います。

 

それは、「分からないことを自覚すること」と言えるのではないでしょうか。

 

分からないことを自覚するってことは、自分の思い込みで済ませてしまおうとか適当にそれらしい言葉を選んで並べて分かってるフリをしまおうとしている自分に気づくことでもある。

 

今の自分は、分かってないのに分かってるフリしちゃったなぁと思うことが私はよくあるのです。そのたび、ちょいとばかり心がけざわつくのですが、最近は大分そんな自分との折り合いがついてきています。

 

やってしまったら、後には引けないから何とか分かろうとするのですが、そんな中で分かったことは、分かったことにはほとんどならないと思います。

 

分かることより知ったかぶりをしてしまった自分を諌めるために知ろうとすることは、自分を守ろうとしているだけなのではないかと思えてくるのです。

 

そもそも知ったかぶりも、分かっていない自分がダメだとか、カッコ悪いとか自分で思い込んでいるからなんだろうなと感じます。

 

だから、分かっていないことを自覚することは、分かっていない自分を悲観的にみていないスタンスなんだろうと思います。

 

分かっていないから人に聞こうとするし、本から知ろうとしたり、できるんだろうと思います。

 

分かっていないから、色んなことを知った時の喜びやハッとする感覚があるのだろうと思います。

 

分かった気になるより分からない方が、なんだか楽しそうです。

 

分からないことから、先に進むと思います。分かっていたら、そこから動かなくていいですからね。

 

分からないことを自覚することが、自分の可能性を拓くチャンスになるのだと思いました。

 

おわり。