名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

「ひろやす」と聞いて、名前だと思われる方が大半です。

本日のつれづれ no.405 〜捨てることも大事〜

2017.05.02  【407日連続投稿】

 

ついつい今よりももっとやったほうがいいことを考えてしまいがちだ。

 

やらないことを決めて、捨てることも重要なんだと思うようになってきました。

 

自分ができることは、はやり限りがあるからこそ、捨てることの選択も大切なんだと思うようになってきました。

 

やることを詰めていったときだから、思うことなのかもしれません。

 

おわり。

本日のつれづれ no.404 〜答えをすぐに出す必要はないのでは?〜

2017.05.01  【406日連続投稿】

 

自分にとって、課題や問題だと感じることに出会うとすぐに解決策を見つけようとする。

 

テストを解いている時に答えを求めるように解決策を見つけるように思考が働いていることがほとんどなのではないかと私は思うのです。

 

なんで、こんなことを思うのかというと今の日常答えがすぐにでてこなくても、なんか楽しい日々を過ごしているからです。

だから、答えや解決策をすぐに見つけようとしなくてもいいのではないかと思ったのです。むしろ、課題や問題があるからこそ、楽しさは生まれているのかもしれないと思うほどです。

 

もちろん、その人なりの答えや解決策があるのは大切なことではあると思いますが、それらを求め過ぎて焦ったり苦しくなったりすることはないんじゃないかと思うのです。

まぁ、そういう時は大抵一人で抱え込んじゃっている時なんだろうとも思っています。

 

答えをすぐに出さなくてもいいけれど、答えを求め続けることは大切なのかもしれない。

ここでいう「答えを出す」と「答えを求める」の違いがいまいち説明しづらいが、結果に囚われず過程を大切にしたいということなのだろう。

 

だから、分からないことは分からないけど、分かろうとすることはやめたくないと思っています。

 

おわり。

本日のつれづれ no.403 〜新年度が始まった一ヶ月を終えて〜

2017.04.30  【405日連続投稿】

 

新年度が始まって一ヶ月が経ちますが、一日一日できることをやっているという日々を過ごしています。

 

なんだかんだ変化があって、それによって不慣れなことをやることが多々ありましたが、今は地に足をつけるといいますか、とにかく目の前のできることをやるという姿勢でいたなぁと振り返ると感じます。

 

言い方を変えると、余計なことに気を取られないようにするとも言えるかもしれません。

 

私はついつい人からどう思われるのか気にしがちなのですが、それはある意味考えすぎであることが大半です。

そう思っても、気にしちゃったりすることもありましたが、気にしちゃってもしょうがないと改めて思いました。

なぜ、しょうがないのかというと、気にすることを解決しようとしても解決に至らない又はその場限りの解決で再び気になったりするということ。そして、気にしてることはいずれは消え去るということ。

だから、しょうがないのだなぁと私は思っています。

 

しょうがないから、やることやろってことです。

やることってのは、仕事上のことだけじゃなくて、住んでいる家のことであったり、料理のことであったり、日々生きる上で欠かせないものを固めるイメージです。

 

そういえば、私が住んでいるシェアハウス「サムハプ」にも変化がありました。

太地くんとガッキー(中垣さん)がそれぞれの場所に移り、新たにガッキー(西垣さん)が入居して、3人で暮らしています。

最初は、なんだか空虚感のようなものがありましたが、今はフツーに暮らしています。

あっ、一部屋空いてるので、入りたい人がいればご相談できます。笑

昨日は、久しぶりに初期サムハプメンバーで集まりました。

生地がお揃いのオーダーメイドのスーツを作りましたので試着のために。

一ヶ月離れて暮らしていますが、このメンバーが集まるとこんな雰囲気なんだなってのがあって、昨日もそんな雰囲気で時間を過ごしました。

 

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来月からは少しずつ落ち着いていきそうな予感はしていますが、目の前のことのやることをやるという姿勢は変えずに、生きたいと思います。

 

おわり。 

 

本日のつれづれ no.402 〜道を求めることをやめない〜

2017.04.29  【404日連続投稿】

 

昨日の記事に書いた『女子学生、渡辺京二に会いに行く』より、一生学んでいくということ、果てしない知の世界に触れ、今後どう歩んでいくかということを書かれている一説を紹介したいと思います。

 

読物つれづれ no.5 〜女子学生、渡辺京二に会いに行く〜 - 名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

 

 ただ、あなた方はこの三砂ゼミで学んで卒論を書いたことを一生ずっと後まで背負っていく方々じゃないかと思う。もし研究ということに携わるのなら、非常にエネルギーを要することになります。膨大な本を読まねばなりません。あなた方が全員できるとは思っていません。すぐに好きな男ができて結婚しちゃて、もうそれだけでいいわという方もひょっとしたら出てくるかもしれません。女の人の言うことは当てにならない。僕は何番目かの恋人は、私は絶対結婚しないと言っていた。そしたら、一年ぐらいしたら結婚しちゃった。これはびっくりしたなあ。まあ自分自身もそういうふうに当てにならないものではありますけどね。

 ですから、一生涯学問をやっていかれるとは限らないと思う。だけどここで知の世界、思想の世界、人類全体の問題というふうなことに出会われたのです。専門的にそういう学問をやっていかないとしても、仮に平凡な妻、母親になるとしても、一生本を読んでいきなさい。本を読むということは持続です。書くこともそうですが、持続です。

 私はさっき言いましたように、10歳ぐらいのみぎりからずっと絶え間なしに書いてきたように思うんですが、これも持続です学問も持続です。だからずうっと本を読んでいきなさい。

 あたしは平凡な社会人になったら学問とは縁がない、と思わないことです。普通の平凡な社会人でもちゃんとした読書人にはなれます。一生本を読みつづけることがだいじです。そして何かこういうことがやりたいな、研究しないなってことがあったら、一冊の本を書きなさい。書いてもいいんです。そのためにはあるテーマに関する文献、研究書を読み上げなきゃいけないでしょう。自分自身の見方というのが必要でしょう。でも私のような大学の教員になったことが一度もないような人間、民間でずうっとあくせく、あくせくして、綱渡りのようにして飯を食った人間にでもできることです、やる気さえあれば。

 学者や研究者になるとか、あるいは変な意味での自己実現をするというじゃなしに一生何か模索していく。人間とはなんなのか、どうあればいいのか、社会というのはどうあればいいのか、一生模索していって、本を読んでいってテーマをつかんだら本を書くといい。 

 『論語に出てくる話だけど、孔子のかつてのお弟子に孔子が言いました。私なりに脚色して言うと、

 私は先生のことをずっと尊敬しておりますが、先生がおっしゃった通りできなかったし、俗な生活をしているんですが、でも、先生に習って、また若い頃に考えたこt、習ったことは心の中で大事なこととして思っております」と。

 こう言われたら、ほう、感心じゃと言うのが普通でしょう。でも孔子は、「汝中道にして廃せり」と言ったんですよ。おまえは道を求めることを途中でやめたと、突っ放したんです。実に厳しいですが、孔子というのは正しいと思います。孔子さんは偉大なる教育者ですね。

 だから、どんな形であれ、自分が道を求めていくということをやめなければいいんです。

 

『女子学生、渡辺京二に会いにいく』(著:渡辺京二×津田塾大学  三砂ちづるゼミ)p.257~259

 

 

 

おわり。

読物つれづれ no.5 〜女子学生、渡辺京二に会いに行く〜

2017.04.28  【403日連続投稿】

 

 『女子学生、渡辺京二に会いに行く』(著:渡辺京二×津田女子大学  三砂ちづるゼミ)という本を読みました。

 

女子学生、渡辺京二に会いに行く

 

最近読む本は、私がブログを毎日書くきっかけになった井上淳之典さんがやられている寺子屋塾でオススメされた本と言いますか、寺子屋塾に行って知った本ばかりを読んでいます。寺子屋塾に行くと、机の上にポンと何気なく本が置いてあります。偶然にもその置かれている本が今の自分が考えていることを深めるための一助になったり、気になってしまうものばかりで、ついつい私はすぐAmazonでポチってしまうのです。

今回のこの本も、同じくビビっと読みたいと思ってポチッとした一冊です。

 

この本は、津田女子大学の三砂ゼミ生が卒業論文に取り組む過程の中で、渡辺京二さんが書かれた『逝きし世の面影』という本を読んだことがきっかけで、女子学生10名ほどと渡辺京二さんがそれぞれの学生さんの卒業論文テーマを軸にお話をする機会を1冊の本にまとめてあります。

 

対話形式で書かれているので、渡辺京二さんの人柄が色濃く表現されてありますし、読みやすいなぁと思いながら読みました。読み始めて1週間で2回読むことができ、今回記事に書こうと思いました。1回読んですぐに、2回目読んでしまったのは、私にとってはあまり経験がないことで、それだけ読み深めたい気持ちがあったからこそなんだと思います。

 

今回も、1記事にまとめることはせずに気になるところを数記事に書いていきたいと思います。

 

本書の中で渡辺京二さんが女子学生に向けて言っていたのは、「無名の人生に埋没するのがよい」ということだったのではないかと、私は思います。

 

そのことが最も表現されている箇所を本書より引用します。

〜中略〜(自己実現しなさいというスローガンは、100人中80人自己実現できない人間がいて当然だ、というスローガンになるわけであります。)

そもそも自己実現なんて言い出した人たちは、特に女性を念頭に置いて、いままで社会に抑圧された人間を解放したい、そういうところから自己実現ということを言っているんでしょう。人間は封建的なしくみやいろいろなしがらみから自分が押し殺されている。そいういう自分を解放してやりたい、そんなふうな大変そうな動機から、自己実現なんてことを言っているんでしょう。しかし、それは実は非常に冷酷な要求で、そういうふうになれない80%の人たちは、おまえはだめだと言われているに等しいんです。だから、私は自己実現なんてできないわ、と落ち込んで、死んでしまいたいと、なってくるやつがいるわけです。自己実現なんていうのは、エリートのバイアスがかかった非常に過酷な要求なんです。

 あのね、最初から自己実現されてるんだからさ、その自分に沿って生きていく、それでいいんです。自分の持って生まれた性質を殺すことなく生かしながら、周りと調和するためにはそれをどういうふうに修正していくかという知恵を得ながら、人の間で生きていく、それだけでいいんです。

 人の上に立って有名になったり、特別な才能を発揮するような人間を基準において、自己実現なんて言われたら、一人一人の人間に強迫観念を植えつけていくことになる。中学だけ出て、上の学校には行かない、あるいは高校だけ出て上の学校に行かない、というような人も今でもいると思いますが、そういう人は最初からそんな野心は持たないで、自分は平凡でいいんだ、自分は好きに生きるだけでいいんだと思ってることが多いからいいんです。でも、大学教育は今、半数以上を占めている。その半分以上の若者に自己実現しなさいなんて言ったら、これはたまらんですよ。

 ですから、人間というのは、簡単に言ったらもう学問なんかしなくたっていいわけなんです。芸術なんてわからなくたっていいんです。自分が取り巻いている自然、四季というものを十分に感じられる人間になること。何も盆栽を作って庭に並べろとか、自分なりのガーデンを作れとか、そんなことじゃありませんよ。そういうことが好きな人はやりゃあいいんだけど、毎年流れゆく四季、それから自分の町を取りまいているいる佇まい、あるいは空の色、あるいは四季折々に咲く花、そういう中で生きているという喜びを感じるということですね。

 今、町ということを申し上げましたが、たとえば昨夜皆さんとイタリア料理の店に行きました。僕はああいうお店が好きで、よく行って若夫婦と仲良くなっているんですけど、自分が暮らす町にそういう店が何軒かある。あるいは町のなかの川が流れるきれいな場所があって、その佇まいが大好きなんだ。小さい時からその場所が好きだというふうな、そういう自分の生活環境に対する愛着のようなもの、自分が住んでいる町というものに対する喜びを感じる。それは何でもないことですが、非常に大事なんです。働いて、たまの日曜日には有名なお店に行く、あるいは好きな場所を眺める。そういうふうに自分を取りまいている町、あるいは自分を取りまいている自然環境、それの中で美しいとか、楽しいとかということが一番大事なんでございます。

 ところが、そういうものがだんだんと失われていっていることが問題なんで、大事なのは、自己実現とかヘチマよりも、そういったものを取り返すということです。それが自己というものを全うするということなんです。自分が住んでいる地域が楽しい、そこが好きな場所になれば、住んでいる人がいるので、この町に住んでいる人々が好きだなあとなってくる。そういうものを作っていくことが大事です。自己実現とかヘチマよりも、そんなことがずっと自分を幸せにしてくれるんです。

 

おわり。

本日のつれづれ no.401 〜「〜でしょ」をよく使っていた〜

2017.04.27  【402日連続投稿】

 

今日、生徒と関わっている中で「〜でしょ」という言い回しを結構使っていることに気が付きました。

 

今考えると、「〜でしょ」という言い回しは、聞いているようでこちらの意見や考えを押し付けているような気持ちがします。

 

もしかしたら、今まで私が気付かない内に、生徒に押し付けていることがたくさんあったのではないかと思いました。

 

ちょっとした気づきであるようなんですが、どうも私にとっては仕事のことのみならず、人と関わる上での重要な気づきであると思っているので、書こうと思いました。

 

 

「〜でしょ」は、コミュニケーションを打ち切る手段になりかねない。

 

相手の話を言いくるめるような言い方になる時もある。

 

相手を上手く捉えているのではなく、自分しかみていないのだろう。

 

「〜でしょ」のみならず、自分がよく使う言い回しに目を向けると、自分の関心がどの方向に向いているのかよく分かるのではないだろうか。

 

人と関わる時「〜でしょ」と使わないようにしたいと思ったので、自分にタガをかけてみるためにも書いてみました。

 

おわり。

本日のつれづれ no.400 〜自己紹介シートを読み直してみて〜

2017.04.26  【401日連続投稿】

 

先日、インタビューゲームを行い、ふと相手が書いてくれた自己紹介シートを読み直したときに思ったことがありました。

 

それは、「これは第3者が読むと、なかなか分かりずらかったり、伝わりきらない部分があるよなぁ」ということです。

 

書いて頂いたときには、「これでめちゃいい」と思って読んでいたのですが、いざ時間をおいて読み直してみると、そんなことを思ったのです。

 

それは、編集してくれたお相手が上手くなかったということではなく、この2人の間だけだから伝わるだろうという前提があって書かれているものだからなんだろうなという印象を受けました。

 

2人のセッションであろうが、私とあなた以外の誰かが読んでくれる前提で書いてみるとどうなるんだろうと思いました。

 

これからやっていく中で、少し意識してみようと思いました。

 

おわり。

インタビューゲーム日記 no.35 〜がんばらない〜

2017.04.25  【400日連続投稿】

 

インタビューゲーム35人目のお相手は、井上太貴さん(以下.ボンちゃん)でした。

 

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《インタビューゲームとは??》

インタビューゲームについて - 名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

 

ボンちゃんは、私より2歳年上?の中学校の先生をやられています。STEPという教育に繋がる人が集まるイベントで初めてお会いし、3年ほど仲良くさせていただいている方です。今度、ボンちゃんが顧問をする部活動にインタビューゲームのワークショップをさせて頂くことがきっかけで今回、インタビューゲームを行うことになりました。

 

【がんばらない】

今回のセッションでは、この「頑張らない」の一言に尽きるものであったと思っています。振り返りの時に、ボンちゃんから「インタビューといったらアナウンサーの姿をイメージしがちだけど、インタビューゲームはアナウンサーになりましょうってことじゃなくて、言葉のキャッチボールができてばそれでいいんじゃないかな」という言葉を聞いて、今の自分がその通りだなぁって思えたことを掘り下げていきます。インタビューゲームを30回以上行って、まずます力を抜いてやっているように感じます。それは慣れというより、以前の私が人と会話する時妙に力が入っていたんだと思うのです。

「何を聞いたらいいのだろう?」

「こんなこときいていいのかな?」

ということに囚われすぎていたのだと思います。

 

頑張らないということは、相手を受けとめる姿勢であるということであり、問いがスッと出やすい状態に近づけているんだと思います。問いっていうのは、考え込んで出るものではなく、その状況・現状をよーく観たら自然と生まれるはずのものであるんだろうと思っているので、頑張っていると全体を掴めず、どこか見落としてしまうのではないかと思ってるので、「頑張らない」って言葉がスッと入ってきたんだと思います。

 

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5月13日(土)14時〜18時にインタビューゲーム会を私が住んでいるシェアハウス「サムハプ」で行います。まだまだ参加者を大募集中です。

【定員6名】第9回 インタビューゲーム会@サムハプ

 

もちろん、個人セッションのお相手も大募集しております。

 

おわり。

 

 

 

本日のつれづれ no.399 〜「生きるって...」 V.O.P予告編2より〜

2017.04.24  【399日連続投稿】

 

先日、べてるの家を取り上げた「V.O.P(ベリーオーディナリーピープル)の予告編4」を観ました。

そういえば、前回のV.O.P予告編2のラスト3分で武田千代美さんが話された言葉を忘れずに書き残したいと思っていたんだと思い出したので、書き残します。

 

生きてるってのは やっぱりね
簡単だけどむつかしい

生きてれば
いいことがあるのが本当

一つ一つが 明日生きてると
いいことがある
また 明後日も 生きてると
いいことがある
その次も 生きてると
いいことがある

淋しい時もあるけど そう思う

 

おわり。

本日のつれづれ no.398 〜V.O.P予告編4鑑賞会に参加して〜

2017.04.23  【398日連続投稿】

 

昨日、べてるの家を取り上げた「V.O.P(ベリーオーディナリーピープル)予告編4」の鑑賞会に参加してきました。

 

寺子屋塾の井上さんと友人の塩坂さんが企画して下さいました。

V.O.Pの鑑賞会は今回で3回目で、今のところ全部参加しており、毎回気づきと優しさを頂いています。

 

べてるの家については、いつくか記事を書いているのでご参照いただければと思います。

 

本日のつれづれ no.187 〜第1回 ベリーオーディナリーピープル 鑑賞会つれづれ〜 - 名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

 

本日のつれづれ no.321 〜映画「ベリーオーディナリーピープル」-3度の飯よりミーティング-〜 - 名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

 

今回の予告編4では、有限会社「べてる」で働かれている方々の様子が、主に描かれていたものでした。

病気でありながらも幸せに生きていらっしゃる方々の姿がそこはありました。

 

「無駄こそが豊かさ」

 

約80分に及ぶ映像は予告編と呼ぶには長いですが、その中には多くの気づきと優しさが転がっていました。

その中で、私が最も心に残っているのが「無駄こそ豊かさ」という言葉です。

スーパーマーケットの床のワックスがけの仕事をするシーンが出てきます。それぞれバラバラのペースで仕事を進めたり、ワックス液で床をびしょびしょにしてしまったり、お世辞にも効率的にやってるとは言えない働きぶりなのですが、やってる人たちは生き生きとやられているのです。

 

普段、できるだけ手間をかけず無駄なくやることが無意識的に良しとして働いてしまっていないかと、ふと思い返すシーンでした。

 

このシーンや言葉が心に残ったのは、豊かさとは何か?というのは大学生の頃にインドに行ったらしたことから気になっているテーマであり、色んな考え方に触れてきました。

「選択の多さが豊かさ」

「時間のゆとりがあることが豊かさ」

などなど。

今までは、色んな考えに対してなんだかピンときていなかったのですが、今回の「無駄こそ豊かさ」というのが私にとってなるほどなと思わせる考えだったのです。

 

無駄であっても生き生きと生きていることが、住んでいる国が途上国であろうが先進国であろうが、どんな病を抱えていようが、選択できるもので、誰でも豊かさを手に入れることはできるのだと思ったからです。

 

一人であっても、誰かと一緒にいても豊かであることはできる。

それぞれのペースで生きればよい。誰かがコントロールしようとするから、歪みが生じるのではないかと。

 

特急電車に乗らず普通電車になって書いていますが、これは一つの豊かさと捉えることができるのは、今回の「V.O.P予告編4」を見たからこそだなぁと思っています。

 

おわり。