名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

「ひろやす」と聞いて、名前だと思われる方が大半です。

本日のつれづれ no.1029 〜トランジションとは?〜

2019.02.17  【1058日連続投稿】

 

 トランジションとは、ここ10年ほど、人文社会科学の研究領域、あるいは、大学教育ー企業の就職などの領域で人口に膾炙している概念です(中原・溝上2014)。研究者のみならず実務家においても注目が集まっているこの概念の含意するところは、「(就職一歩手前の)最終的な教育機関を終了して、安定的なフルタイムの職業につくこと」です(OECD 2010 Buchann2011)

 「安定的なフルタイムの職業」とここで含意されているのは、十分な収入・健全な労働環境をともない、将来に見通しがもてる中長期の雇用が約束がされている職業です。俗にいえば、もっとも典型的なのは、いわゆる「正社員」をイメージするとよいかもしれません。

(中略)

 今、トランジションはかつてないほどにフラジャイルなものになり、揺れています。大学などの最終的な教育機関を卒業しても、一時雇用や臨時雇用などの不安定で短期間の職業にしかつくことのできない若年層が増えています、また、就職したはいいものの、組織。職場に適応することができず、すぐに離職してしまうことが起こっているからです。

 就職活動という活動に興味がもてず、そこから逃走してしまう学生。

 就職活動を乗り切ることができず、結果にいらだち、心が折れてしまう学生。

 就職活動はなんとか乗り切り、めでたく「安定的なフルタイムの職業」の内定は得たものの、本当にこのままでよいのか考えあぐねてしまう学生。

 内定式を終え、内定者教育が始まると、次第に自信を失っていく学生。

 無事入社はしたものの、教育訓練の途中で、意欲を喪失し、早期離職してしまう学生。

 そして、配属後、思い描いていた理想の仕事の姿と現実に苦しみ、仕事を辞めてしまう学生。

(中略)

「自校を卒業した生徒が、前向きに仕事世界に向き合う準備期間をいかに提供するか」というアクティブトランジションの支援の視点は、このような大学の説明責任と呼応してまいす。

 

舘野泰一・中原淳『アクティブトランジション』あらすじより

 

トランジション」という概念を広く捉えたら大学教育にも言えるし、障害者の就労にもいうことができる。

本文にも書いてあったが「前向きに仕事世界に向き合う準備期間をいかに提供するか」は自分の仕事だなって思いました。

 

おわり。

本日のつれづれ no.1028 〜誰もが必要?当事者意識〜

2019.02.16  【1057日連続投稿】

 

教育や福祉の現場に携わる中で、学び手や当事者が今から変わりたいと思っているならば、本人がいかに当事者意識を持っているが大切だと思っている。

 

なぜならば、結局行動を起こすのは本人であり、教える側や支援する側が無理やりやったところで学びはないし変わる方もないのだろうと思う。

 

でも、当事者意識を持つということは、教える側や支援する側にも言うことができる。

自身がやることが明確に分かっているということが分かっていないと、相手の課題に踏み込んだりしていまうからである。

 

当事者意識を持つことは、誰に対しても言えることだと思っている。

 

おわり。

本日のつれづれ no.1027 〜想いがあっても、想いがなくても、〜

2019.02.15 【1056日連続投稿】

 

仕事において想いがしっかりある人は素敵で、想いがない人はそれなりの人。

 

そんなことを思ってやしないだろうか。

 

想いがあっても、想いがなくても、どっちでもいいかな。

いや、想いをしっかり持たないといけないみたいな強迫観念があることが自分を苦しめ、他人を傷つけるのだろう。

 

最近、ドラゴンボールZAmazonプライムで観ている。

このブログを書く前まで悟空vsセルを観ていた。

セルに誰も勝てなかったら人間はセルに殺されてしまうという状況の中、悟空は「地球を守らなければならない!!!」というよりも「強うやつと戦えてワクワクすっぞ!!!」といった具合だ。

何度も地球を救う悟空でさえ、そうなのだ。

 

仕事でいえば、その人が会社において最高パフォーマンスを発揮される気持ちの持ちようでいいのではないだろうか。

みんな一緒のモチベーションでやろう!

みんな気持ちを同じくして野郎の方が難しく。合わせることに力を使うから、結果パフォーマンスが落ちるのではないか。

 

想いがあっても、想いがなくても、結果その人の行動が価値になっているのであればそれはそれで立派な仕事人だろうと思う。

 

本日のつれづれ no.1026 〜やはり人間関係は私とあなたから始まる〜

2019.02.14  【1055日連続投稿】

 

人間関係に悩むって声を仕事柄よく聞きます。

 

個人的に、誰に対しても万能な接し方なんてないし、自分ができる限りのことをして嫌われるならそれはしょーがないと思っています。

 

でも、間違いないなって思うこともあって、そもそも自分があって相手がと関わるのではなく、相手と関わる中で自分ができるということは、個人的に間違いがないなって思います。

 

自分がつまらない

人生がつまんない

と思っている人はそれだけ相手と関わる環境になかったり、勇気がでなかったんだろうな。

 

でも、一歩踏み出せば傷つくこともあれど、未だに知らない自分を見ることができる。

そして、新しい自分をどう思うのかも自分次第、今までの自分をどう思うかも自分次第。

その自分次第ってのも、誰と出会うかどんな関わりをするかで変わってくるんだな。

 

おわり。

本日のつれづれ no.1025 ~利用者が書くブログがいい感じな件~

2019.02.13  【1054日連続投稿】

 

私が勤めている就労継続支援B型事業所に発達障害がある20代の方が書くブログがいい感じのクオリティになってきたんじゃないかと思っています。

 

利用者が書いたブログの一例

飛行機 ですいすい!カンボジア行き航空情報2019! | tomoni earth

 

就労継続支援B型事業所は、障害がある方で一般就労(企業に採用されたり、公務員になること)が困難な方に仕事を提供する中で、就職に向けたフォローなども行なっています。

 

〈就労継続支援について詳しく知りたい方はこちらをご覧ください〉

                                            ↓↓↓↓↓   

  就労継続支援B型とは?作業内容や工賃の額、対象者、利用手続きなどを解説します | LITALICO仕事ナビ


昨年の5月からブログの代行を依頼を受け、今までブログなんて書いたことないし、ましてや自分が体験経験したことがないことを書くなんてできるのか?

と本人も私も思っていました。

おまけに毎日(土日祝も含め)1記事書いてくださいという契約でした。

 

ましてや、ブログを書くメソッドなんて持ってませんでした。

一つの記事を丁寧に書き続けることによって自分も利用者も学んでいくなかで「こんな感じの方がいいんじゃない?」と話し合いながら進めました。

最初の記事は2日かけてようやく完成したのを今でも覚えています。

書く内容のテーマは決まっておらず、ターゲットのみ決まってる状況でとくに、抽象概念を扱うことに苦手を感じることが多い発達障害の方にとっては、難しい仕事だと思います。

書くテーマが決まっても知識もないので、ネットでリサーチして1からそのテーマについて学びます。

嘘は書けないし、どういう構成で書けばいいかも分からないまま試行錯誤しながら進めました。

自分は聞かれたらアドバイスしますが、書くのはあくまでも利用者という姿勢は崩さずに書き続けた結果、最初2日かけて書いたレベルの記事なら1日で4、5記事は書けるようになりました。

また、一例で紹介した記事はSEO対策も考慮した記事で、利用者の独学で書いています。

 

「この利用者はブログを書くことで生計を立てていくのか?」

と思われるかもしれませんが、成長したのは「ブログを書く力」だけではないんだろうなと思います。

こればかりは、やったことないことをやり続けた人しか分からない話かもしれませんが、どんな仕事にも応用できる「自ら学んで形にしていく力」や「できないことへの取り組む力」は確実に養われているんだろうと思います。

 

しばしば障害者は一芸に秀でるみたいなことが言われることがあると、私は感じますが、障害者で括ることに違和感しか感じません。

障害があろと、なかろうと一芸に秀でる者もいればそうでない者をいます。

それでも、自分がやったことないこと・できないことに向かい続けることは誰でもできる可能性はあると思います。

そして、やったことないこと・できないことに向かい続けることで当初は思ってもなかったものが手に入るかもしれません。

 

以上、利用者のブログがいい感じだと感じている件でした。

 

p.s.

実際に利用者が書いたブログを読んで頂けたら、感想いただければ嬉しいです。

身近な存在なので私が過大評価しているかもしれないので(笑)

 

おわり。

本日のつれづれ no.1024 〜あなたは、やらなくていい、続ける必要もない、強制されない中で何をやりますか?〜

2019.02.12  【1053日連続投稿】

 

やらなくてもいいし、続ける必要もないし、誰からも強制されないことをやる意味はどこにあるのだろうか。

 

端的に言えば、やる意味がないことをやる意味はあるのだろうか。

 

やれば必ず成果が生まれることしかやらないと考える自分に気づいた時、

それは、これをやれば何かが手に入るか分かっているからやるなんて、つまらないことだと思っている時だ。

 

やらなくてもよくて、続ける必要もなくて、強制もされないことをやるということこそ、自分がどんな人間なのかを知ることになると思う。

 

それは、今の仕事にも通じている。

やらなくてもよくて、続ける必要もなく、強制される環境でもない場所で自分が何を行うのか。

これほど、楽しめる場所はない。

 

おわり。

本日のつれづれ no.1023 〜言葉と心〜

2019.02.11  【1052日連続投稿】

 

 私たちはごく自然に自分は「自分の心の中にある思い」をことばに託して「表現する」というふうな言い方をします。しかしそれはソシュールによれば、たいへん不正確な言い方なのです。

 「自分たちの心の中にある思い」というようなものは、実は、ことばによって「表現される」と同時に生じたのです。と言うよりむしろ、言葉を発したあとになって、私たちは自分が何を考えていたのかを知るのです。それは口をつぐんだまま、心の中で独自する場合でも変わりません。独自においてさえ、私たちは日本語の語彙を用い、日本語の文法規則に従い、日本語で使われる言語音だけ用いて、「作文」しているからです。

 私たちが「心」とか「内面」とか「意識」とか名づけているものは、極論すれば、言語を運用した結果、事後的に得られた、言語記号の効果だとさえ言えるかも知れません。

 

内田樹『寝ながら学べる構造主義

 

心の中に言葉があるのかと思っていた。

心から言葉が生まれると思っていた。

だけれども、言葉が心を作っているのかもしれない。

だから、どんな言葉に囲まれて生きているかで、心も内面も意識も変わるかもしれない。

 

おわり。

 

本日のつれづれ no.1022 〜言葉とは、星座を見るようなもの〜

2019.02.10  【1051日連続投稿】

 

 ソシュールは言語活動とはちょうど星座を見るように、もともとは切れ目の入っていない世界に人為的に切れ目を入れて、まとまりをつけることだというふうに考えました。

 

 「それだけ取ってみると、思考内容というのは、星屑のようなものだ。そこには何一つ輪郭のたしかなものはない。あらかじめ定立された観念はない。言語の出現以前には、判然としたものは何一つないのだ。」

(『一般言語学講義』)

 

言語活動とは「すでに分節されたもの」に名を与えるのではなく、満天の星を星座にわかつように、非定型がつくのではなく、名前がつくことで、ある観念が私たちの思考の中に存在するようになるのです。

 

内田樹『寝ながら学べる構造主義』p66〜67

 

おわり。

本日のつれづれ no.1021 〜久々の未来デザインをやってみて。〜

2019.02.09  【1050日連続投稿】

 

今日は寺子屋塾で久しぶりに未来デザインを行いました。

 

未来デザインについてはこちらの記事も参照してもらえると、分かりやすいと思います。

未来デザイン考程 1: 理念設定 - gt-24o’s blog

 

今回は「むこう3年の今後のキャリアプラン」というテーマで行いました。

 

この未来デザインは上手く書くよりもなんども行なってこのプロセスで思考するクセを身につけることに目的があるのですが、まだ一通り私はできたこともなく、書いてみるのも半年以上ぶりだったので、感覚が忘れてないか心配でした。

 

今日は第1局面の理念設定でした。

理念設定は、日々生きている中で自分はどんな方向に向いて生きているのか?これから生きていきたいのか?ということを考えます。

 

コツは、目先のことではなく遠く実現不可能かもしれないくらいの先を見ようとすることです。

 

日々、目先のことばかり考えているとなかなか出てこないんでしょう。

 

日々、職場の代表と色々話していることもあり、理念設定はある程度できたのではないかと思います。

 

気付きは、心象図と呼ばれるイメージ図のようなものが自分の中でしっくりきていることです。

心象図がしっかり書けると、主文(一番最後に全ての要素を統合された文)の言葉がまとまりやすいなと思いました。

 

また、来月行っていこうと思います。

 

おわり。

本日のつれづれ no.1020 〜概念が先か? 実在が先か?③〜

2019.02.08  【1049日連続投稿】

 

 「われわれはいま『お天気』ということばをごく日常に用いているが、この『天気』という語も本来の日本語ではない。これも、概括的、抽象的な言葉なのである。同様に『春』『夏』『秋』『冬』はある。しかしそれらを抽象した『季節』はない。

 あるいは目に見える『そら』はある。しかし万物を主宰し、運行せしめ、個人と集団の運命を定める抽象的な『天』はない。いやこの『天』ともなると、たんに抽象というにとどまらず、この観念を生んだ種族の思想ーーすなわちものの考え方、世界と人間のとらえ方ーーを濃淡にふくんでいる。

 概念があるからことばがある。逆に言えば、ことばがないということは概念がないということである。」

高島俊男『漢字と日本人』)

 

内田樹『寝ながら学べる構造主義』 p.64〜65

 

ことばは単なる音ではない。

ことばには必ず概念が含まれている。

その概念というのは、すべての人で共有されているものではない。

むしろ、私だけ・あなただけしか持っていない概念もあるかもしれない。

だから、ことばを使ってその概念を共有して生きていく。

ことばというのは、分からない概念を繋ぎ合わせるという意味でも、活用される。

だから、概念がないことばはないんだ。

 

おわり。