2021.05.16 【1865日連続投稿】
本日は、私と愛知県の工業高校の教員をやられている西尾亮さんと運営している「教師塾」として、オンライン読書会を開催しました。
テーマ本は「生きる技法」(著:安冨歩)で、3月に引き続き2回目の開催です。
結果、私と西尾さんも含め7名で実施しました。
読書会と言っても様々な方法があると思うんですが、音読しあって、感想をシェアするという方式を取りました。
この狙いとしては、黙読と音読では、精読の質が変わってくることに由来しています。
また、何度も読んだことがある人と初めて読む人など様々な人の感想が共有される場での化学反応が面白くなりますし、同じ箇所を読んでも解釈は人それぞれあるため、一人で読むよりも理解が深まるという狙いもあります。
今回は第2章「友だちについて」の途中から第3章「愛について」の終わりまで読み進めました。
今回読んだ中で私が印象に残った箇所をご紹介します。
自愛が自分自身を受け入れ、大切にすることであるのと逆に、自己愛は、自己嫌悪から生じます。自己嫌悪とは、自分自身を自分自身としてそのまま受け入れることができない状態です。そして、自分のあるべき姿を思い描き、自分がそれとズレていることに嫌悪感や罪悪感を抱くのです。
これはその人が勝手にやっているわけではありません。自分とは異なる像を自分の像として、誰かに押し付けられていることから生じます。その上、押し付けられているという事実を自ら隠蔽するのです。 こうやって押し付けられた像があるべき姿となり、それとズレた自分の姿を嫌うのが自己嫌悪です。
このような自己嫌悪に陥っている場合、生きることは大変つらくなります。なにしろ、自分自身が嫌でたまらないということは、自分自身から逃げたいということになりますが、それは不可能です。そこで、なんとかその埋め合わせをせねばなりません。その埋め合わせの手段の第一が、自分の姿を偽装して、自分に押し付けられた像に一致させることです。こうやって悦にいるのが自己愛です。
『生きる技法』(著:安冨歩)p61~62
この部分を読んで、『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』(著:二村ヒトシ)という本に出てくる「心の穴」「自己受容」「インチキ自己肯定」の部分に繋がってくるなと思いながら読んでいました。
自分を自己嫌悪してしまうのは、全く自分のせいではない。
親や学校や環境によって、自己嫌悪してしまう。
しかし、放っておけば自己嫌悪し続けてしまうので、そんな自分に気付いて自己嫌悪してしまう原因なんて、誰かから押し付けられた価値観で、今の自分の現状を受け入れ「実際自分はどう生きていきたいのか?」を考えることが大切なんだということが見えてきます。
次回は、6月20日(日)10~12時で第4章「貨幣について」を読んでいきます。
イベントページはまだできておりませんが、参加希望の方は是非予定を空けておいていただきたいです。
【本日の晩酌】
おわり。