名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ

「ひろやす」と聞いて、名前だと思われる方が大半です。

本日のつれづれ no.749 〜急いでも大して結果は変わらない〜

2018.05.09  【779日連続投稿】

 

今日はなかなか忙しない一日だった。

やることが目の前にあると、どうも急いでしまったり、気合いが入ったりする。

でも、急いだり気合いが入ってると足元が見えなくなっちゃうんだよなぁと改めて教えられた。

 

焦って急いでも、頑張って気合い入れても早さは対して変わらないってことは、らくだプリントが教えてくれてるわけだけれども、その通りだと日常で実感しましたとさ。

 

おわり。

本日のつれづれ no.748 〜口を出し過ぎないタガをはめる〜

2018.05.08  【778日連続投稿】

 

教育では、しばしば「教えすぎない」ってことが大切だと言われることがある。

福祉であれば「支援しすぎない」ってことことになると思う。

それぞれ何を持って「教える」なのか、「支援する」なのかってことから考えなきゃいけないが、今回はざっくり「口だしする」ってことにしておこうと思います。教えるなら、当事者が気付く前に「あなたのやり方は、ここが間違ってるから直した方がいいよ」と言ってしまう。支援するなら、当事者が困る前に「(あなたはこれは難しいから)私がやりますよ」とか支援者が当事者たちの間に入り過ぎてしまうこと。

 

「全く口を出さない」わけにはいかない場面があるのはもちろんのことだと思うが、一度失敗経験やらトラブルが起きてしまうと、教える側も支援する側も過剰になりすぎる時がある。放置というわけではないが、教える側や支援する側が力を持ちすぎることは、極論教える側や支援する側がいなければ、生きていけないと言ってるようなもののように思える。

 

だからといって、なかなかそこの口を出す出さないのバランスってのが難しい。だから、常に自分に「口を出し過ぎない」ってタガをはめれておくことは大切なのだと思う。

 

おわり。

 

本日のつれづれ no.747 〜『質問です。』 ②〜

2018.05.07  【777日連続投稿】

 

『質問です。』002

「初対面で訊かれたくない質問はなんですか?」

 

初対面で訊かれたくない質問は、今までそんなになかった気がします。一番ドキッとしたのは「モテたいですか?」と訊かれたことです。むしろ、「そんな恋愛経験をしてきましたか?」とか経験的なことだと、人によっては話しやすいけれども「モテたいですか?」というのは、なんだか自分の汚い部分もさらけ出すようなことになると思うし、ドキッとしちゃいました。

 

 初対面っていうと、なんだか最初から上手くとけ込めるかな?とか色々緊張しちゃったり、相手と距離を取ろうとしてしまいますが、それでいいんだと最近は思います。上手くいかない経験があれば、開き直るといいますか、初対面は上手くいかないことは当たり前なんだから、繕ったりせず自分なりの関わり方をしていって自分という人間を知って貰えばそれでいいんだと思うのです。

 自分が訊かれたくないことは、相手に訊かないようにするということがなんだか「いいこと」のような思われ方がされがちですが、それは相手との関係性を見ようとせず自分から相手と適切な距離というより壁を作ってるような感じがします。

 

結局は、「いかに相手との関係性を見るか」「自分を繕わない」これが大切やなと思ったわけです。

 

おわり。

本日のつれづれ no.746 〜『質問です。』①〜

2018.05.06  【776日連続投稿】

 

名越康文さんの『質問です。』という本があります。

この本は、70の質問を読者に投げかけてくれます。

それを一つ一つ回答していこうと思います。

 

質問001

「仕事とプライベートの時、どちらが人に対して寛容ですか?」

 

仕事はある程度やることが決まっていたり、目標が決まっていることがほとんどだと思うので、自分の考えややり方に固執することなく、相手の考え方から学んだりすることもあるし、話すベースができてることから自分の考えも話しやすいと思ってます。

プライベートになると、それぞれの趣味やら興味があることが異なるのに、自分のこだわりを持ってる部分や大切に思ってることにとやかく言われることもあるなと思います。

 

プライベートの時こそ、寛容的な人が本当に寛容な人かなと思ったりします。

 

おわり。

キャンプつれづれ no.1 〜静岡 秘密村〜

2018.05.05  【775日連続投稿】

 

静岡県浜松市天竜川の上流にある秘密村キャンプ場に行ってきました。

 

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川のせせらぎの音が常に流れていて、周りは子ども連れのキャンパー達が多かったですが、落ち着いた時間を過ごすことができました。

 

今回のキャンプ仲間は、シェアハウス関係のメンバーであったり、その彼女さんたちなどなど8人で行ってきました。

 

やっとテントを一人で張るのに慣れてきました。スノーピークのアミニティを使うのは3回ですが、5ヶ月ぶりに張りましたが、今までより手際が良かった。やっぱりやればやるほど上手くなるもんです。

 

15時頃につき荷物整理をしつつ、夕飯の支度。

おきまりのBBQに加えて、お手軽な燻製も行いました。

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とりあえず、よいキャンプでした!!!

 

おわり。

本日のつれづれ no.745 〜2018キャンプ シーズンイン〜

2018.05.04  【774日連続投稿】

 

今シーズン初キャンプに行きます。

今回も電波が入らないところに行ってくるので、5月5日のお昼過ぎまで連絡とか取れないので、よろしくお願いします。

 

今年で一番ワクワクしてるかもしれません!!

また明日キャンプレポ書きます!

行ってきまーす。

 

おわり。

本日のつれづれ no.744 〜電車の中でほっこり〜

2018.05.03  【773日連続投稿】

 

世の中はゴールデンウィークだ。

今日も職場に向かうために地下鉄に乗った。決められた出勤ではないのでいつもより遅い時間に乗っている。

いつもは駆け込むように地下鉄に乗り込むが今日は余裕を持って乗ることができた。

目の前には、4人家族がいらっしゃった。お父さん、お母さん、3歳くらいの子、ベビーカーに乗ってる1歳くらいの子だった。

お母さんは3歳の子の面倒をみていた。

お父さんは日頃の疲れからなのかぐっすり眠っている。お父さんの側にあるベビーカーに乗ってる子は、好奇心旺盛で手に届くものは何でも触っていた。

すると、私の左手の小指を程よい力で握ってきた。

驚きと嬉しさとそれを見ていたお母さんの視線が気になった。お母さんと目が合うと、少し微笑んでもらった。

その後先に電車を降りていかれたのだが、目があったり、笑ってくれたりとなんとも心が温まる時間だった。

 

地下鉄をよく利用するが、ベビーカーを見かけることは少ない。車椅子に乗っている人も少ない。

もっと色んな個性を持っている人たちも気軽に出かけたり電車に乗ったりできる世の中だったらいいのになと、思っています。

 

おわり。

本日のつれづれ no.743 〜自分のいる場所で環境は変わることもある〜

2018.05.02  【772日連続投稿】

 

場のデザインっていうのは、どこにでも必要なことだろうと思う。

学校だったら学習環境や学級環境ってことになる。

家だったら、リビングやキッチンやトイレまでもその対象だろう。

企業だったら、オフィス環境ってことになるだろう。

 

場のデザイン次第で、その場にいる人の行動や関わり合いなどあらゆることに営業するんだろうなと思う。

今日思ったのは、自分がどこにいるか次第でその場が変化することがあるかもしれないってことです。

職場での自分の立ち位置は、PC 作業きている利用者へ仕事を渡したり教えたりする感じです。

教えることはしなくとも、自分かことをやっててもすぐ側にいたり同じ場にいることで見えることや利用者との関係が変わったりすることがあるんだと思いました。

 

おわり。

本日のつれづれ no.742 〜夏目漱石『夢十夜』「第六夜」より〜

2018.05.01  【771日連続投稿】

 

 運慶は今太い眉を一寸の高さに横へ彫り抜いて、鑿の歯を竪に返すや否や斜に、上から槌を打ち下ろした。硬い木を一と刻みに削って、厚い木屑が槌の声に応じて飛んだと思ったら、小鼻のおっ開いた怒り鼻の側面が忽ち浮き上がって来た。その刀の入れ方が如何にも無遠慮であった。そうして少しも疑念も挟んでおらんように見えた。

 「能くあの無造作に鑿を使って、思うように眉や鼻が出来るものだな」と自分はあんまり感心したから独言のように言った。するとさっきの若い男が、

 「ない、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだから決して間違うはずはない」といった。

 

夏目漱石夢十夜』「第六夜」より

 

自分というのは知らず知らずのうちに出来上がっているもんだと思う。

しかし、知らず知らずに出来上がってしまった自分なんて自分じゃないなんて思うことが、あるんじゃないかと思う。そりゃ理想の自分になれりゃ苦労なんていらないかもしれないけど、その苦労というものが自分らしさになってるんじゃないかって思う。

 

おわり。

本日のつれづれ no.741 〜久しぶりに『女子学生、渡辺京二に会いに行く』を読んで〜

2018.04.30  【770日連続投稿】

 

一昨日の投稿で、一年前の投稿を見てやっぱり渡辺京二×津田女子大学三砂ゼミの『女子学生、渡辺京二に会いに行く』という本から自分は強く影響を受けてるんだなと思いました。

改めて部分的に読み返して「いいなぁ」と思っています。

 

そういうふうな社会変革というか、社会をよくしていこうというのは、一般庶民が考えたことじゃないんです。これは全部知識人が考えたことなんです。近代に出現した知識人は、なんとか民衆というものの生活をよくしてやりたい。民衆というのは無知である、貧乏である、いろんな迷信にとらわれている、遅れている。だから民衆を教育して、一人一人啓蒙された市民にして、理想的な人間関係を作り、さらに社会の経済も含めて、一つの物質生産ということも管理し統制して、幸せな社会を作ろうとした。

 これはぜんぶ、知識人のおせっかいなんですよ。知識人が、人間はかくあるべきと教えることになる。おまえは不幸だよ、おまえは障害があるよ、おまえは遅れているよ、おまえはバカだからそれに気づいていないんだ、俺が教えてやる。おまえたちは全部不幸なんだよ。こうすりゃ幸せになるよ。俺のいうことを聞け。というんで強制収容所を作ってブチこんだわけです。強制収容所の起源はそこにあるわけです。要するに人間が全部彼らの考えよって幸福になれるようにするためには、それに逆らうような考えのやつは全部ラーゲリにぶちこまれにゃいけないわけなんです。

 もちろんかつての社会主義陣営のような抑圧体制というのは、中国と北朝鮮キューバあたりを除いて、だいたい崩壊してしまったけれども、しかし、それでいい、というんじゃない。結局今日の現代社会の、福祉という言葉、ウェルフェアという言葉が一番表しているんでしょうけど、それを万人のものにしようというのは、動機としては非常に崇高です。けれどもだんだんエスカレートしていって、結局ユートピアが反転して、逆ユートピアになってしまう状況になっている。このことがもう冗談ではなくなっているような時代だと思うんですね。

 僕らはもう、政府とか知識人とかにおせっかいを焼いてもらわなくていいんです。といいながら僕自身は一個の知識人ですから、僕がこう言っていること自体がおせっかいの一種なのかもしれません。みんなが相互扶助できることが望ましい。もちろん相互扶助といったって限界があるから、一つの政府があって、そこで福祉的な予算を組んで、施設を作るとか、そういうことが必要でしょけど、そういうことおはなるべく必要最低限に抑えておいて、社会全体の中にお互い助け合って生きていくという、そういうあり方を作ることが必要だと思うんです。

 

『女子学生、渡辺京二に会いに行く』p.105〜107

 

何か社会をよくしようと思って動く時には頭の片隅にでも置いておきたいと思います。

 

おわり。